仙台の行政書士より250207心のメッセージ
本日は午前中、建設業許可申請と相続申請それぞれのご相談をお受けいたします。
午後は、シャロームの会のケア会議に出席いたします。
今日は田中信生先生の言葉のご紹介です。
<聞く上手とは(その2)>
イエス・キリストは、たとえ話を語られたその終わりに、繰り返しこう言われました。「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4:23)「耳のある者は聞くがよい」(マタイ13:9)これは単に「音として聞く」ことではなく、心の耳で神の言葉を受け入れ、理解し、悟るようにと求めておられるのです。たとえ話は、神の国というまだ未体験の世界や、神学的な抽象的概念を理解しやすくするために用いられました。人々の日常生活から取られた身近な例を話の題材としているので、聞く人は誰でも自分の理解度に合わせてわかるようになっていました。ところが、誰でも自分なりの理解でわかるということは、それ以上の霊的レベルの理解に至るには、相当心の準備がなければ到達できないことを意味します。つまり、「ああ、あのことね。あれはわかっている」そう思ってしまえば、それ以上のことは探らず、その人の進歩は止まってしまうのです。こうなると、日常生活レベル以上の霊的理解には到達できません。ですから、イエス・キリストは、たとえ話の最後で、「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4:23)と何度も語られたのです。



