仙台の行政書士より241124心のメッセージ
本日は午前中、建設業許可申請と産業廃棄物処理業許可申請のそれぞれのご相談をお受けいたします。
午後は、シャロームの会のケア会議に出席いたします。
今日は丸山芳浩先生の言葉のご紹介です。
フェルプスがケガをすることは神の御心だったので、神は彼の行き先に氷を張って怪我を負わせ、金メダルを取れるようにしたのでしょうか?
それとも、どう考えてもケガをしないことが御心のはずで、「怪我の功名(けがのこうみょう)」と言う言葉通り、偶然結果が吉と出ただけなのでしょうか?
それはわかりません。あなたの目の前に起きる出来事や、あなた自身が体験する出来事には、「これは御心、これは御心ではない」という目には見えない
荷札が付いて届けられているわけではありません。
神を信じているあなたが「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:9)
という御言葉を受け入れ、自分の知識や理解では到底納得できなくても、「この中に神の御心が隠されている」と信じて神の宅配便を開く時、そこに御心が見えてくるのです。「何かそこに活路があるはずだ」と目を見開いて探す人にしか活路は見えません。
また、結局願ったとおりにならず、失敗や損失として処理されてしまった後でも、「この苦い思いを体験させることを通して、神は次の出来事に私を備えさせて下さっているのだ」と、自分の思いよりも遥かに高い思いを持った神がおられるのだと信じて進む時、そこに新たな御心を見いだすのです。
あなたはすでに試練や問題という重荷を抱えておられるかもしれません。たとえそれが神様からの宅配便だとわかっていたとしても、中に入っているのがゴミばかりだと思えば、持つ気も失せ、「神様、もう二度と私に試練を与えないで下さい。私は潰れてしまいます」と祈るかもしれません。
しかし、その中に入っているのが札束だと知らされ、神様から「全部あげるよ」と言われているなら、同じ重さでも軽く感じ、「もう一箱持てます!」と
元気よく申し出るのではないでしょうか。これは「何でも気の持ちよう。考え方次第だ」と自分を上手にコントロールするテクニックを伝授しようとしているのではありません。「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:9)
と言われる神と共に人生を歩むことをお勧めしているのです。人格的神との出会いが、私たちの人生を、試練に遭う度、新しくさせるからです。
あなた自身の考えの中にとどまらず、神の大きな御手が開かれていることを思い、今日の試練に取り組んで参りましょう。