仙台の行政書士より241125心のメッセージ
本日は、大和キリスト教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は田中信生先生の言葉のご紹介です。
<すべては何の為にあるのか>
ジョージ・マセソン(1842年~1906年)は讃美歌の作詞家です。
彼は同じ学校の女性に恋をし、二人は結婚するつもりでいました。ところが、19歳の時、急に目が見えなくなりました。その時、彼は目の状態を彼女に話し、「それでも結婚してくれるか」と尋ねました。彼女の答えは「いいえ」でした。ジョージは、彼女に怒りをぶつけることもできたし、「約束したのに破棄するのか」と責め寄ることもできました。しかし彼は柔和な心で、真摯に彼女の返事を受けとめ、彼女との結婚はなくなりました。
それから彼は、自分自身の失明の痛みと、彼女との別離を思い、1882年に賛美歌360番「疲れし心をなぐさむる愛よ」を書きました。4節には、「罪のこの身をもあがなう十字架よ。ちりなる我にも、とこ世の花をばさかせたまえ」と、この世の移り変わる報われない愛ではなく、神の変わることのない愛、イエス・キリストの十字架による希望が記されています。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。…しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
(ローマ8:35、37)