仙台の行政書士より241127心のメッセージ
本日は午前中、建設業許可申請と国籍帰化許可申請それぞれのご相談をお受けいたします。
午後は、シャロームの会の相談会に出席いたします。
今日は田中信生先生の言葉のご紹介です。
<『今を輝いて生きる』②>
生きている人、死んでいる人
ある時、電柱の上で工事をしている人を見ていました。前方の電柱に上っている人が電線を持ちながら、後方の電柱の上にいる人に向かって、「こちらは生きている」「こちらは死んでいる」と言っています。すなわち、電流の流れている方が“生きている”わけです。
人が生きているか、死んでいるかも、“木は実によって知られる”と言いますが、そこに内なるいのちが流れ、果樹であればどのような実を結ぶかでわかるのです。また、魚のように、生きていればどのような小さな魚も川を上って泳ぎますが、一方、大きな鯨でも、死んでいれば潮に流されていくだけのように、試練に遭う時に、それに立ち向かい、それを宝に変え、生かしていく人が“生きている人”と言うことになります。
私が住んでいる米沢は、豪雪地帯です。ある冬の日、寮の屋根から降ろした雪をショベルカーで掻き上げて片づけていたところ、大きな雪の塊がコロンと隣家との間に入ってしまいました。ショベルカーはそこに入って行くことができないので、そこにいた寮生が後の片づけを頼まれました。
雪は放置しておくと堅く固まってしまうものです。すぐに対処しなかったせいか堅くなってしまい、大きな塊をどうしたものか、思案をしていた時、Aさんが、「楽しもう」と言って角を削り始めました。そして、大きな丸い玉にし、コロコロと転がして道路に出しただけでなく、それを雪だるまにしました。作った人も、道を行き交う人もほほえみを持って雪だるまを見る光景に、寒い冬に、あたたかい思い出となりました。
このような生き方はどこから生まれるのでしょうか。