仙台の行政書士より241127心のメッセージ
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は田中信夫先生の言葉のご紹介です。
<「できる」とは>
多くの方々から、「神にあってできる」のみ言葉によって励まされ、また具体的な力を受けたというお証を伺います。「できる」という言葉は、まさにこのみ言葉のために作られた日本語のようにすら思われます。
日本語の「できる」とは、もともと、「出来る(いでくる)」から生まれました。「出てくる、現れ生じる」という意味です。ですから、漢字で書くと「出来る」と書くわけです。ついふらふらと起こした悪い考えなどを「出来心」と言ったり、「にきびの出来る年頃」など、無の状態に新たに何かが現れることを言います。腫れ物を「おでき」とか、「できもの」とか呼ぶのは、まさにそのものズバリの呼び方です。「米の出来具合」も「二人が出来たらしい」というのも、具体的か抽象的かの差こそあれ、無から有が生じるという点では全く同じです。
「できる」とは、私たち一人ひとりの内に能力があったり、可能性があるのではなく、無から有を呼び起こされる神様にある出来事を指すのです。いろいろな出来事の中で、失望したり悲しんだりするたびに、しっかりと「神にあってできる」という言葉の意味を味わいつつ、頭や感情だけではなく体で覚える信仰を培い、この時代に最も影響力のあるクリスチャンとして前進してまいりましょう。