仙台の行政書士より241123心のメッセージ
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、佐藤優著 人生の役に立つ聖書の名言(講談社)から一節を紹介いたします。
〈劣った部分を尊ぶ〉
神は劣っている部分をいっそう見よくして、かだらに調和をお与えになったのである。それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互いにわたり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
「コリント人への第一の手紙」12章24-26節
キリスト教は、人間の能力や適性が平等であるとは考えていない、知力に秀でた者がいれば、そうでない者もいる。運動能力に秀でた者もいれば、少し鈍い者もいる。健康に恵まれている者もいれば、病気がちの者もいる。さまざまな人たちが互いに補い合って、人間社会が成り立っているのである。
理屈ではそのことがわかっていても、弱い立場にいる人がいつもそれを受け入れるのは理不尽だ。それだからパウロは、弱い部分がある人は、「どうしてこういう自分にしたのだ」と神を恨むのではなく、弱い部分を生かすように努力すればよいと呼びかける。そうなると、意外とそこから新しい能力が開花することもある。
神が、それぞれの人に劣っている部分を作ったことを、むしろ前向きに捉えた方が人生は楽しくなるとパウロは説いている。世の中の常識を逆転させて、同じ事柄に別の意味を持たせる能力を、イエスとパウロは持っている。