コラム
仙台の行政書士より180826心のメッセージ
2018年8月26日
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、佐藤優著 人生の役に立つ聖書の名言(講談社)から一節を紹介いたします。
〈重荷を負う者は〉
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい、あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
「マタイによる福音書」11章28-30節
イエスは、知恵は賢い者には隠されて、社会から軽く見られ、あるいは無視されている人たちに与えられているという逆説を説いた。これは当時のユダヤ教指導者を念頭に置いた痛烈な批判だ。ここで言う「重荷」とは、生活苦や病気のことではない。ユダヤ教指導者が民衆に課している煩雑で厳格な法律解釈のことである。ちょうど、中学生や高校生に、煩雑で細かい受験勉強を強いているようなものだ。
ただし、ここでイエスは、法律をまったく無視していいとはいっていない。自分のところにきて、知恵を学べとイエスは言っているのである。一風変わったイエスの知恵に学べば、誰であっても軛から開放されて、安らぎを得ることができる。キリスト教は、「信じる者は誰でも救われる」式の敷居の低い宗教ではなく、かなり面倒で、逆説ばかりの不思議な知恵を学ぶことを義務づけた、勤勉性が要請される宗教なのである。裏返して言えば、キリスト教と真剣に取り組めば、誰でも勤勉になる。
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