仙台の行政書士より250207心のメッセージ
本日は午前中、建設業許可申請と産業廃棄物処理業許可申請それぞれのご相談をお受けいたします。また午後は、シャロームの会の就労移行事業書「ノア」のOB会に出席し、夕方はマイベストプロ宮城のセミナーと交流会に出席いたします。
今日は、金藤晃一先生の言葉のご紹介です。
〈依存関係の物差し〉
「相手が自分に依存しているか、していないのか?」さらに言えば自分が依存させているか、させていないのか、を確かめる方法はありませんか?」というご質問をいただきました。
これは、私にとって重要なテーマです。どうしても関わりすぎになるテーマです。どうしても関わりすぎになる傾向のある私は、関わっているうちに、私自身、相手を依存させてしまっているのか、いないのか分からなくなるときがあるからです。
私の一つの物差しは「仮に、相手との関わりをやめたとして、そこに強い罪悪感を私自身が感じるようであればそれは依存させていた証。罪悪感を感じないのであれば、依存させていない証」というものです。
人の課題なのに自分の課題のように思うことから、悩みは生まれます。子どもの宿題を子どもがやらずに親がやっても、当然子どもの成績は上がりません。子どもの代わりに宿題をするのをやめた親が、子どもに対して「申し訳ない」という思いに駆られたとしたら、この親は相当、我が子に依存させていたことになります。さらに言えば、親の「申し訳ない」という罪悪感を煽って、子どもが親を支配する場合すらあります。
罪悪感を解消するための人間関係は、常に脅迫されているようなもの、と言えます。その結果、一方は「なかなか自立をしない」、もう一方は「疲弊困憊する」といった人間関係の問題が生まれます。罪悪感をいったん脇に置いて、自分の人間関係を検証してみましょう。相手も自分も生きる人間関係の活路が開かれます。



