仙台の行政書士より241130心のメッセージ
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、マザー・テレサの言葉のご紹介です。
明日という日は、私たちの手の中にはありません。
私たちは明日に対してなんの力もありません。
私たちはただ、今日という日に行動できるだけなのです。
だから”今ここを生きる”。
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松田松陰。
2015年のいま、ちょうどNHKの大河ドラマでやっています。
ドラマを見ると、とにかく「牢獄」のシーンが多いことが印象的でした。
それもそのはず、吉田松陰といえば「松下村塾」が有名ですが、その基礎は牢獄で作られました。
黒船に乗ってペリーがやってきたとき、
2人の若者が小舟にのって黒船に近づきました。
吉田松陰と弟子の金子重之輔です。
日本のこれからのために、アメリカにつれていって色々学ばせてくれ!と直訴する若者2人。
ペリーは関心しながらも、、江戸幕府の手前、彼ら2人を乗せることなく下ろしています。
それがバレて2人は牢獄に入れられます。
松田松陰が入れられたのは山口県の野山獄。
いまでいう無期懲役の囚人が多く、獄中でただ死を待つだけの暗い牢獄でした。中には40年以上も獄につながれている人もいて、最年長は76歳の囚人でした。
近くの獄に入れられた弟子の金子重之輔は、ほどなく獄死しています。
松陰も、その獄から出られる可能性は低く、一生そこで終えるかもしれない状況です。
囚人たちは、みな人生を諦め、いつかやってくる「死」を待つだけの日々でした。
そんな中で松陰は、みんなに提案します。
「この牢獄の中で、勉強会をやろう!
この環境の中で出来る最高の毎日を送ろう」と。
最初はバカにされたそうです。
「ここから出られる可能性もなく、ただ死を待っているだけなのに、勉強なんかしてなんになるか」と。
たしかに、長年牢に入っている人から見たら、その通りです。
でも、この「今の環境の中で最高の毎日を過ごそう」と一生懸命に勉強している松陰を見て、みんなの姿勢も徐々にですが、変わっていきます。
やがて牢獄の中で座談会形式の勉強がひらかれ、
そのうちの囚人それぞれが得意な分野を持ち回りで講師をつとめる勉強会にまで発展しました。
その後、松陰は恩赦によって、獄から出ることができ、有名は「松下村塾」を作ることになります。
そこでは、弟子といえども松陰と同等で、お互いに教え合う雰囲気が充満していたそうです。牢獄での経験が、ここで活きたんですね。
その松下村塾からは、のちの総理大臣2人、国務大臣7人などを輩出することになります。
いつ死罪になるかわからない状況で「最高の毎日」を送る。
そんな生き方もあるんですね。
松陰はその後、再び投獄され30歳で斬首されますが、明治まで生きていたら、どんな大人物になっていたのでしょうか。
どんな過酷な環境であっても、
「最高の毎日」を送る。
それを決めるのは
「心」
ひとつです。