仙台の行政書士より241129心のメッセージ
本日は、シャロームの会のメンバー交流新年会に出席いたします。
今日は、田中信生先生の言葉のご紹介です。
〈「ありがとう」と一元に生きる その4〉
「私は生かされている者であり、どのような状況の中にあっても、天はそれを宝に必ず変えてくださる」という考えをしっかり持ち、自分の使命はその豊かさを生きるために存在している、という自分の生きる目的の定義を明確にお持ちになることです。そして、日夜、その生きる目的をお経のように唱えつつ、それになり切っていくことです。もしあなたがクリスチャンであるならば「私は神の作品であり、神様から愛されている、神の国の大使である」ということを唱え続けることです。
読者の中には、熱心な仏教徒の方や僧侶の方もおられますので、次の例話を用いたいと思います。かつて「唱うれば、我も仏もなかりけり。南無阿弥陀仏の声のみぞして」と詠んだ弟子に対して、「まだまだ」と師匠から言われました。その弟子が、やがて3年後に「唱うれば、我も仏なかりけり。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と詠んで、今度は見事パスした話を思い起こされるでしょう。最初の「声のみぞして」という表現は、まだ客観的に距離のあるうちは自らの立ち位置がぶれていることを示します。しかし、その弟子の最後の境地は、仏と自分が一体になったのです。
真の自立も同じです。あなたの代わりは、この地上には他に一人もいません。「自分になりきる」ことが、真の自立です。主体的に、あなたがあなた自身と一体となる一元に生きるとき、あなたの存在(being)が輝きます。
そして、あなたの存在(being)から、真の「ありがとう」があふれ出します。それは、相手の存在(being)に響く、いのち輝く「ありがとう」なのです。