仙台の行政書士より241130心のメッセージ
本日は、シャロームの会メンバー交流会と、仙台純福音教会の聖会に出席いたします。
今日は、渡辺和子先生の言葉のご紹介です。
失ったものではなく 得たものに目を向けて生きよう
一つひとつの挫折をふり返り、私は学習院でなくて成蹊でよかった、お茶の水でなくて聖心でよかった、サンモールでなくてノートルダムに入れていただいてありがたかった、負け惜しみでなく、しみじみ思います。
ある時、学生たちに「人間というものは、失ったものに目を向けず、得たものに目を向けて生きないとダメ」と話した時、学生の一人が「シスター、今日の話は、すごく真に迫っていた」と言いましたが、それもそのはずなのです。
もちろん、第一志望が叶えられたら、おめでたいことだし、良いことです。しかしながら、挫折を経験することは人生にとっては非常にたいせつなことであって、あおの時にはそれなりに、しっかり苦しんだらいい。ただ、それに打ちのめされることなく、それだけが自分を生かす唯一の道でないのかも知れないと考えるゆとりがほしいものです。
所詮、人間は見通せることには限りがあって、長い目で見ると、案外、物事は異なる評価を持つものですから。
「神の思いは、人の思いにあらず」という聖書の言葉が、本当にそうだと思えるようになるためには、いくつかの挫折を経験し、そこから、自分の「思い」の浅はかさに気づくことが、どうしても必要なようです。
謙虚さ(Humility)は、はずかしめ(Humiliation)を受けずには得られないと習ったことがありますが、そういうことなのかも知れません。