仙台の行政書士より241127心のメッセージ
本日は午前中、東北復興プロジェクト「アタラタ」のオープニングレセプションに出席いたします。また午後は、建設業許可申請と心の障がい者の就労支援のそれぞれのご相談をお受けいたします。
今日は、チョー・ヨンギ先生の言葉のご紹介です。
主をおそれることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9・10)
ハンガリーの王が悲しみの中に落ちていました。王の弟が兄王になぜそのように悲しんでいるのか聞きました。王は答えました。「私は父なる神の前で大罪人であるから、審判の日に父なる神の御前に立つことを思うとそれだけで恐ろしいのだ。」それを聞いて弟は言いました。「なんだ。そんな小さなことに気を使いすぎだと思います。」
その国では、たとえどのような身分であろうとその人の家の前に死刑執行人が来て、ラッパを吹き鳴らすなら、即座に死刑場に引き出され殺されるという掟でした。王は、ある夜明け弟の家に死刑執行人を送って、ラッパを鳴らさせました。弟はびっくりして王のもとに走り、自分がどんな罪を犯したか教えてくれるように乞い願いました。兄王はこう言いました。「あなたは私に対して罪を犯したのではありません。でも私が送った死刑執行人がそんなに恐ろしいのか。だとすれば大きな罪を犯した私がキリストの審判を恐れる気持ちが理解できるであろう。」
父なる神を恐れ、知恵を得た人は、父なる神の御言葉を守り、知恵ある生活をするので、身も心も健康で安定した幸福な人生を生きるようになります。そればかりか知恵ある人はこの地で長寿を与えられ肉の幕屋が壊れても永遠の命の希望があります。
あなたは自分が発見したイエス様をどれだけ証ししましたか。