仙台の行政書士より241126心のメッセージ
本日は、NPO法人とうほくPPP・PFI協会の定期総会に出席してから、河北TBCカルチャーセンターで開催しています「エンディングノート」でお話をさせていただきます。
今日は、金藤晃一先生の言葉のご紹介です。
陰謀にでも会っているかのように、次々と問題に巻き込まれているご婦人から、「私の傘の骨が折られていました」とご相談を受けました。「いや~。さぞビックリなさったでしょう。でも、失礼ですが、それは事実ではありませんね?」と私はあえて言ってみました。するとその方は驚いて、「いいえ、現実に私の傘の骨が折られていたんです」。「お気持ちは、お察ししますが、正確にはそれは事実ではないのです」。「金藤先生、何を言っているんですか?だったら、事実って何ですか?」。「はい、事実は『私の傘の骨が折れていました』です。『られ』があなたの解釈です」。その方はハッとなさいました。
もちろん、「傘が折られていた」ということも否定できません。しかし、もしかして、その方の不注意で傘の骨を折ってしまった可能性もあります。しかし、「折られていた」とその方が言った時点で、その可能性は無視しているので、実は半分しか見ていないことになります。「『~された。』『られた。』と言っている自分に気づいたら、いったん冷静になって、事実とは何だろうと考えるといいですよ。」と申し上げました。
まず、疑うべきは自分の思い込みです。疑心暗鬼とはよく言ったもので、極端な被害者意識は、居もしない加害者を創り出すことになります。そして、居もしない加害者に怯えて、日を過ごすとしたら残念です。問題に巻き込まれて、混乱してきたら「事実は何か?」と自分に問いかけてみましょう。次に自分が何をしたらいいかは自ずと見えてきます。