仙台の行政書士より241126心のメッセージ
本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、前島誠先生の言葉のご紹介です。
「先生、この女は姦通の現場で捕えられました。モーセは法律の中で、こういう女は石で打ち殺せと命じていますが、あなたの意見はどうですか」
彼らがこう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためであった。しかし、、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。 [ヨハネによる福音書・8章4-6]
人間の背中には表情があります。その人間の顔よりも、むしろ背中のほうが、その人の本当の姿を示すものです。生きることの悲しさと重みとは、すべて背中で負われるからです。
右に引用した有名な場面が、人々の心を引きつける理由は、イエスの後姿にあるのです。
身をかがめて、黙ったまま背中を向けているイエスの姿勢に、限りのないやさしさといたわりが、込められていることがうかがえるでしょう。
被告の場に立たされた女の孤独と悲しみ、やり場のない恥ずかしさ、おそらくはその女が背負っているであろう暗い過去と重苦しい現在の生活、それをイエスは自分の重さのように感じ取っていたに違いありません。
やさしさは言葉によってではなく、無言の背中によって支えられるものなのです。