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神だけを聖とする―主の祈り②

菊地茂

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 本日は、仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。

 今日は、前島誠先生の言葉のご紹介です。

 御名が聖とされますように。  [マタイによる福音書・6章9]

 ミサ典文の主の祈り(マタイ型)には、七つの祈願が含まれています。このうち二番目と三番目、六番目と七番目は内容が同じ並行法なので、それぞれ一個の祈願として数えれば、都合五つの願いになり、結果としてルカ型(11章)になります。原型はおそらくでしょう。ここではまず第一祈願を解説します。
 「御名を聖とする」とは何でしょうか。神だけを聖とするという意味です。従って、神以外の者を絶対化しない、ということにつながります。そう考えると、最終祈願「我らを試みにあわせず」に、呼応していることがわかるでしょう。
 「試み」の例は、申命記・6章14-16にあります。「他の神々に従ってはならない」と命じた後で、神は「主を試みてはならない」と話を結んでいます。つまり試みとは、神以外のものを、主として心に保とうとする誘惑なのです。
 われわれの日常をふり返ってみましょう。見栄や体裁、あの人だけには弱みを見せたくないという意地、自己満足やこだわりなどを、もしかしたら絶対化していないでしょうか。まずこの「試み」から、自分の心を解き放すことです。そうして初めて、「御名が聖とされますように」と唱えることができるのです。

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