仙台の行政書士より241126心のメッセージ
本日は、仙台市青葉区梅田町に新会堂が与えられた仙台純福音教会の主日礼拝に出席いたします。
今日は、前島誠先生の言葉のご紹介です。
アブラハムはベエル・シェバに一本のぎょうりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。[創世記・21章33]
ハガルの一件で意気消沈した族長アブラハムに、追い打ちをかけるような事件が持ちあがります。自分の所有する井戸が、領主アビメクレの家来たちによって奪われたのです。彼は領主に掛け合って、やっとの思いで井戸の権利を取り戻します。
そこで彼は「一本のぎょうりゅうの木」を植えました。この木は根を深く下ろすので、砂漠の民に珍重されています。そして「主の名」を呼んだのです。自分から主の名を呼んだのは、この時が初めてでした。余所者の孤独と悲しさが、伝わってくるようなくだりです。
〈名〉はユダヤ人にとって、特別な意味がありました。その名の示す使命や能力を表したのです。ですから、神の名については絶対的な崇敬が払われました。聖書のなかで「ヤハウェ」という神名が出てくると、ユダヤ人はこれを発音せず、代わりに「アドナイ」(わが主)と読み替えます。それほど神の名を大事にしているのです。
「主の名を呼ぶ」ことは、まず自分の力を尽くしたうえで、初めて許されることでした。わたしたちの日常は、往々にしてこれとは逆です。自分の努力を回避して、安易に神の名を呼んだり、自分の意志に置き換えたりしがちです。
神の名を軽々しく持ちださぬよう、心したいものです。