仙台の行政書士より241126心のメッセージ
本日は午前中、財団法人移行申請の打合せを税理士事務所といたしまして、午後は、国籍帰化許可申請のご相談をお受けいたします。
今日は、前島誠先生のことばのご紹介です。
谷川の水を慕い求める鹿のように、
神よ、わたしの魂はあなたを慕う。 [詩編・42編2]
一読してどうお感じになるでしょうか。
水を探し求めて鹿は谷川を見つけた。渇いた喉を潤すことができた。その鹿のように、わたしもあなたを慕い求める―そうとらえるのがふつうでしょう。
ところが、この詩人の思いは全く別の所にありました。なぜならこの鹿は、水を飲むことができなかったからです。
「谷川」は原文にAFYK(アフィック)とあります。これは水の流れていない枯れ川(ワディ)を指すことばでした。
イスラエルに雨が降るのは冬の機関で、雨量も極端に少ないのです。大雨の直後に水の流れることはあっても、ふだんは乾いた地面が原野を帯状に貫いている。これがワディです。車で砂漠を横断するときは、わたしもこのワディを利用したものでした。
ちなみに「ヨルダン川」は、〈水の流れ下る川〉という意味。めずらし川なので、それが固有名詞になったというわけです。
人の心は時として渇きます。水を求めてもなかなか見つからない。どうしたらよいのでしょうか。聖書は教えます。
涸れ川の鹿に習え。たとえ水が飲めなくても、あなたは水(神)を慕い求めよ。それが生きることなのだ―というのです。