終活上級インストラクターの健康法【運動編】
本日も下重暁子さんの「明日死んでもいいための44のレッスン」の中から、本日は第9弾「本来の自分の名に戻す」を、皆様にお伝えしていきたいと思っております。
下重暁子さんは、下重暁子さんという戸籍上の名前がありました。自分の戸籍上の本来の名前に戻していくということをおっしゃっておるわけですが、私もそうですが、一般の方はやはり名前というのは、戸籍上の名前と、今通用している名刺の名前というのは、一般の方であれば一つになると思いますので、その視点ではないところからお話をしていきたいと思いますが、下重さんはこのようにおっしゃっております。
「母が死んだとき、ずいぶん風通しがよくなったと感じた。今までは、私の前に立派な屏風があって、いつでも強風から守ってくれた。たとえ死が私に手を伸ばしていても、全力で私を守ってくれていた。」とおっしゃっております。
これは私も感じているところではありますが、私の両親、私の父は私が20歳の頃、50歳の若さで亡くなりました。胃ガンで発見が遅れまして、胃の外にもリンパの方にもガンが転移しておりまして、手の施しようがない状態で約1年、手術、入退院を繰り返しながら亡くなったわけですが、私もその父が亡くなった時に、私の前の屏風が一つ外れた気がしました。風当たりが強くなった。私を守ってくれるものが一つなくなった。そして私の母は、今から5年前に90歳で亡くなったわけですが、その母が亡くなったことによって、本当に屏風がすべて、私の前からなくなって本当に風通しがよくなった。村上家を、私が一番前ですべての風を受け止めて、私の後ろにいる奥さん、子供たちを、私が全力で守っていかなくてはならないということを、本当に実感させられました。そういった意味では私も下重さんと同じ思いです。
この屏風が外れたことによる本当の責任の重さ。それを痛感して、できるだけ長い時間、私の後ろにいる妻、子供たちを守っていきたいという思いでいっぱいであります。ですが、いつか私にも死が訪れるわけですので、明日死んでも良いためのレッスンとして、いつ私の屏風が外れても残された妻・子どもたちが幸せで明るい生活が送れるように、私も準備をしていきたいと考えております。
その終活の第一歩として、どうぞ皆様エンディングノートを活用いただければと思います。私も日々エンディングノートを読み返し、そして年に1回はエンディングノートの更新に努めております。