私は「IT屋」ではない者になることにした ── マイベストプロの記事を全部消した日のこと
序章 ── 頭をかく社長の話
ある地方の会社の、応接室です。
机を挟んで、若いITの担当者が、ノートパソコンを開いて、流れるように説明しています。クラウドがどうの、自動化がどうの、ダッシュボードがどうの。画面はきれいで、グラフはなめらかに動いて、なるほど、よくできている。
社長は、60を少し過ぎたくらい。腕を組んで、うん、うん、と頷いています。
でも、その目の奥には、薄い霧がかかっている。
説明が一段落したところで、社長は、少し申し訳なさそうに、頭をかいて、こう言うんです。
「いやあ、私はね、どうもこのITってやつが苦手で。よく分からないんですよ」
担当者は、にっこり笑って、答えます。
「大丈夫ですよ、社長。みなさん最初はそうおっしゃいます。難しいことは、ぜんぶ私たちにお任せください」
── この場面を、私は、30年間で、何百回と見てきました。
町が変わり、顔が変わり、システムが変わっても、この場面だけは、不思議なくらい、変わらないんです。
そして、正直に告白すると ── そのほとんどの時間、私は、机の「業者の側」に座っていた人間でした。
社長の「分からない」を、乗り越えるべき壁だと思っていた。早く、こちら側に引き上げてあげなきゃ、と思っていた。
でも、今日お伝えしたいのは、その正反対のことです。
社長の「分からない」は、弱さでも、壁でも、ありません。
それは、その部屋にある、いちばん精度の高い"計器"です。
そして、それを恥ずかしがらずに口に出せる社長は ── 実は、その場で、誰よりも賢い判断をしているんです。
なぜ私がそう考えるようになったのか。少しだけ、お付き合いください。
1. 社長は、「分からない」と言うとき、嘘をついていない
まず、確認したいことがあります。
中小企業の社長さんの多くは、「ITが分からない」ことを、どこかで"恥"だと感じています。
「うちはアナログな会社でして」
「私はその手のことに疎くて」
「若い人には、かなわないですよ」
── そう言うときの、あの、少し肩をすぼめる感じ。
その多くは、たぶん"謙遜"です。地方の社長さんは、腰の低い方が、本当に多いですから。
ただ、ときどき、その奥に、小さな負い目が滲んでいることもあります。時代に乗り遅れている、勉強が足りない、自分が古い人間だ ── そんな気持ちが。
私は、これがずっと、もったいないと思っていました。
だって、考えてみてください。
その社長は、30年も40年も、その会社を、潰さずに続けてきた人です。
取引先の癖も、社員一人ひとりの機嫌も、現場のどこに無理が溜まっているかも、誰よりも知っている。
言葉にできないだけで、その人の頭の中には、会社という生き物の"地図"が、まるごと入っているんです。
その人が、「分からない」と言う。
これは、本当に、その人が"無知"だから出てくる言葉なのでしょうか。
私には、どうしても、そうは思えなかったんです。
いえ、もっと、はっきり言わせてください。
私は、「社長はITを知らない」と言いたいのでは、まったくありません。
むしろ、逆です。地方の社長さんは、本当に、よく勉強されています。最新のツールやAIの話なら、IT屋の私よりずっと詳しい、という社長さんも、少しも珍しくありません。
それでも、ふとした瞬間に、「いやあ、よく分からなくて」という、あの霧がよぎる。
だとしたら ── その「分からない」は、知識が足りない、という意味では、ありえないんです。
では、あれは、いったい、何なのか。
2. 30年かけて、私の見方をひっくり返した、ある社長の一言
私の見方が、はっきりとひっくり返った瞬間があります。
何年も前のことです。私は、ある会社に、よくできたシステムの導入を提案していました。
理屈の上では、完璧でした。業務はきれいに整理され、入力はスムーズになり、数字はリアルタイムで見えるようになる。私は、自信満々でした。
その会社の社長は、例によって、「うーん、私はよく分からないんだけど」と、頭をかいていました。
私は内心、(また始まった、大丈夫、慣れればすぐですよ)くらいに思っていました。
ところが、その社長は、そのあと、ぽつりと、こう続けたんです。
「ただね……これ、うちの田中は、絶対に入力しないと思うよ。それに、経理の佐藤さんも、毎日忙しくて、チェックなんてしている時間はない。……これで、どうしてうまく回るのか、私には、どうも分からないんだ。それとも、ITっていうのは、何か魔法みたいなことが起きるものなのかい?」
私は、一瞬、言葉に詰まりました。
田中さんは、現場をずっと回しているベテラン。佐藤さんは、たった一人で経理を背負っている人です。
そして、私が組んだ"完璧な計画"は ── よくよく見ると、その二人が、毎日きちんと入力し、こまめにチェックしてくれることを、当たり前の前提にしていたんです。
社長は、その計画書のどこに何が書いてあるか、一つも説明できなかったでしょう。クラウドの仕組みを聞かれても、たぶん、言葉に詰まったはずです。
でも、社長の頭の中では、自分の会社の人間が、明日からどう動くかが、ありありと見えていた。
田中さんの手が止まる場面も、佐藤さんが「あとで」と後回しにする場面も、全部、浮かんでいたんです。
だから、社長は、たった一秒で、見抜いたんです。
専門家である私が、何週間もかけた計画の、いちばん脆いところを。
「この仕組みは、うちの"人の動き"には、乗らない」ということを。
そして、私の胸に、いちばん刺さったのは、最後のあの一言でした。
「ITって、魔法みたいなことが起きるのかい?」
社長は、自分の違和感を、"その魔法を知らない、自分の無知"のせいにしようとしていた。
でも、本当は ── 彼の違和感のほうが、私の計画よりも、ずっと正しかったんです。
社長の「分からない」は、無知なんかじゃ、なかった。
それは、田中さんや佐藤さん ── 現場の人たちの動きを、誰よりも深く知っているからこそ出てくる、"声にならない警報"だったんです。
3. 「分からない」は、現場が、あなたに送ってくる信号だ
ここから、今日いちばん伝えたいことに入ります。
なぜ、社長の「分からない」「なんか違う気がする」が、これほど正確なのか。
理由は、シンプルです。
専門家は、技術を知っています。
でも、あなたの会社のことは、あなたしか知らない。
しかも、その「あなたしか知らないこと」の大半は、言葉になっていません。
誰がどんな順番で動くか、どの作業に誰が無言の責任を持っているか、何を変えると現場の空気が壊れるか ── そういうものは、マニュアルにも、組織図にも、書いていない。
あなたの体の中に、経験として、染み込んでいるだけです。
だから、それは、理屈としては出てこない。
出てくるとしたら ── 「なんか違う」「うちには合わない気がする」「ピンとこない」という、もやっとした"感覚"として、出てくるしかないんです。
つまり、こういうことです。
あなたが、立派な提案を前にして感じる「分からない」は、頭が悪いから出てくるんじゃない。
あなたの現場が、言葉にならない声で、「そこ、ひっかかるぞ」と、あなたに信号を送っているんです。
だとしたら、その「分からない」は、捨てるものじゃない。
それは、羅針盤です。
羅針盤は、「この技術はダメだ」とは教えてくれません。
そうではなく、「お前の現場と、この道具とのあいだに、"ズレ"がある。それは、ちょうど、ここだ」と、場所を指し示してくれる。
「分からない」が指している、まさにその一点こそ、いちばん丁寧に向き合わなければいけない場所なんです。
4. ただし ── 「分からない」には、二種類ある
ここで、もう一段、話を進めさせてください。
ここが、今日の話の、いちばん大事な分かれ道です。
社長の「分からない」には、実は、まったく性質の違う、二種類があります。
一つ目:「技術そのものが、分からない」
クラウドって何だ、APIって何だ、その仕組みがどうなっているのか分からない ── これです。
これは、はっきり言って、社長が分かる必要はありません。
そこは、専門家に、訳してもらえばいい。任せてしまえばいい。あなたの仕事ではないんです。
二つ目:「これが、うちの現場に、馴染む気がしない」
「理屈は分かった。でも、なんか違う」「うちの田中は、これ、やらない気がする」── あの感覚です。
これは ── 絶対に、手放してはいけません。
なぜなら、これこそが、さっき言った、現場からの信号 ── あなたの羅針盤だからです。
ところが、中小企業のITの現場で、いちばんよく起きる悲劇が、これなんです。
社長が、二つ目の「なんか違う」を感じている。
でも、目の前の専門家は、自信たっぷりに、流暢に喋っている。きれいな資料を出してくる。
社長は、「ITが分からない自分」を恥じている。だから、こう思ってしまう。
「まあ……専門家が、これがいいと言うなら……」
そうやって、社長は、自分のいちばん大事な羅針盤を、そっと、しまい込んでしまうんです。
そして、半年後。
そのシステムは、誰にも使われずに、眠っています。
「やっぱり、ウチにはITは難しかった」と、社長は、また、自分を責めます。
違うんです。
難しかったんじゃない。
社長の羅針盤は、最初から、ちゃんと、正しい方向を指していた。
ただ、「分からない自分が悪い」という思い込みが、その針を、握りつぶしてしまっただけなんです。
5. だから、社長さんへ ── その「分からない」を、手放さないでください
ここまで読んでくださった、中小企業の社長さんへ、お願いがあります。
これから、誰かがあなたに、新しいITの話を持ってきたとき。
あなたの中に、「なんか違う」「うちには合わない気がする」という、もやっとしたものが立ち上がったら。
どうか、それを、恥ずかしがって飲み込まないでください。
その「分からない」は、あなたが時代に遅れている証拠ではありません。
それは、あなたが、自分の会社を、誰よりも深く知っている証拠です。
だから、こう言ってしまっていい。
「悪いけど、ここ、なんでか分からないけど、ひっかかるんだ。説明してくれるかい」
その一言が言える社長は、弱いんじゃない。
その部屋で、いちばん精度の高い計器を、堂々と握っている人です。
そして、もし、あなたのそばにいるITの人間が、その「分からない」を「大丈夫ですよ、お任せください」と、笑顔で撫でて、なかったことにしようとするなら ── その人は、あなたの羅針盤の値打ちを、分かっていません。
本当に頼れる相手は、あなたの「分からない」を消そうとする人ではなく、あなたの「分からない」を、その部屋でいちばん大事なデータとして、一緒に覗き込んでくれる人です。
私自身は、30年かけて、ようやく、机の"そちら側"の意味に気づいた人間です。
だから今は、社長の「なんか違う」を聞くと、(あ、いま、いちばん大事なことが出てきた)と、背筋が伸びます。
結び ── 霧の向こうに
冒頭の、応接室の社長を、覚えていますか。
腕を組んで、頭をかいて、「私はITが苦手で」と、申し訳なさそうに笑っていた、あの社長。
私は、いま、こう思っています。
あの霧は、無知の霧じゃなかった。
あれは、その人の現場が、その人にしか聞こえない声で、何かを伝えようとしていた、その気配だったんだ、と。
「分からない」は、終わりじゃありません。
むしろ、いちばんいい"始まり"です。
分からない場所が分かるというのは、どこを掘ればいいかが分かる、ということなんですから。
もし、よかったら ── 何も分かろうとしないまま、まず、自分という経営者のことだけ、知ってみてください。
『あなたはどの社長タイプ?』という、90秒の診断があります。
ITの知識は、一つも要りません。あなたが、どう感じるかを答えるだけです。
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分からないまま、来てください。
分かるところまで、一緒に行きましょう。
これからも私 関 慎太郎は、この温度で、書いていきます。
よかったら、また、お読みになってくださいね。
──関 慎太郎


