「塾ジイの日記」32 ―諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく―
成長の分岐点
こんにちは。出口利光(でぐち りこう)と申します。40年間進学塾で教鞭をとり、5年ほど前に定年退職しました。今では自宅のアトリエで趣味の油絵を楽しむ傍ら、近所の小中学生に勉強を教えています。最近親御さんや子ども達から学習や受験に関する相談を受けることが増えました。今日は私が勤めていた進学塾の相馬先生がやって来ました。彼は私が退職した年に入職し、今年で5年目の中堅職員です。
「出口先生、ご無沙汰しています! お元気そうで何よりです。これ、差し入れです」
「いつもすまんのお。ん?トマト焼酎か?」
「はい、お身体に気を付けていただきたいと思って」
「なるほど、飲めば飲むほど健康になるということか。いや、ありがたい! チーズを燻して今からこれで一杯やろう! ところでどうじゃ? 仕事の調子は」
「一応順調です」
「一応?」
「はい、先日上司から管理職候補の研修を受けるように勧められたんです」
「おー、いよいよか。うまくいけば来年現場の責任者になれるかもじゃな! いい感じじゃないか!」
「はい、それはそれで良いんですが…」
「なんじゃ、なんか悩み事か?」
「はい、ちょっと今日はご相談があって…先生が酔っぱらう前に聞いていただきたいことが…」
「なんじゃ? 結婚か?」
「いえ、それは自分で何とかします。生徒のことでご相談が」
「生徒のこと?」
「はい、今年担任した中3の基礎クラスの生徒たちなのですが、全くヤル気が無いんです」
「ほう、どんな具合じゃ?」
「授業中騒がしくて、宿題も全くやって来ないんです。それで成績が上がらず、というか下がり気味で」
「それは大変じゃな」
「それで先日の保護者懇談で最もヤル気のないAくんのお母さんに『塾ではヤル気が見られません。家でも頑張るように言ってもらえませんか?』ってお話ししたら、お母さん激怒されてそのままお帰りになったんです」
「なるほど」
「子ども・親ともこんなやりにくいクラスは初めてです。他の教科担当者も異口同音です」
「で、わしへの相談というのは…?」
「子どもをヤル気にさせ、親にどうやって協力を仰いだら良いかアドバイスいただけたらと…」
「それは無理じゃな」
「えっ?」
「子どもをヤル気にさせ、そのために親に協力を仰ぐのは無理だということじゃ」
「無理…」
「そもそもじゃ、なぜAくんのお母さんが激怒して帰ってしまったんじゃ?」
「そっ、それは…」
「なぜ子どもたちは相馬先生の授業を聞かず騒いでしまうのか? なぜ彼らは宿題をやって来ないのか?」
「それはヤル気が無いからでしょう」
「ヤル気があれば授業をしっかり聞き、宿題もやってくると?」
「そりゃそうでしょう」
「じゃあ聞くが、そのAくんがもし心を入れ替えて、相馬先生の授業を全身全霊で聞き、宿題も完璧にやるようになったら…」
「そんなことあり得ません」
「なぜ、そう言い切れる?」
「彼らがヤル気になるなんで奇跡だからです」
「ほおー、奇跡か… じゃあ、その奇跡が起こったら、Aくんがヤル気満々になり、相馬先生の指示を100%実行すれば、それで成績は上がるんじゃな?」
「えっ?」
「奇跡が起こって、あなたの指導にちゃんと従えば志望校へ合格できるんじゃな?」
「そ、それはわかりません」
「わからんか…」
「一体何を言いたいのですか!?」
「生徒のヤル気の無さを“隠れ蓑”にしていないか?」
「ど、どういう意味ですか?」
「『ヤル気が無いから授業を聞かない、宿題をやらない、だから成績が上がらない、挙句の果てに志望校にも合格できない…私はちゃんと指導しているんですけどね!』というスタンスじゃないのか?」
「……」
「もう一度聞く。なぜ子どもたちは相馬先生の授業を聞かず騒いでしまうんじゃ?」
「そ、そ、それは…わたしの授業に魅力を感じないから…です」
相馬先生の目から涙が零れ落ちた。しかし私は質問を続けた。
「なぜ彼らは宿題をやって来ないんじゃ?」
「う、う、う… わ、わたしの出す宿題をやっても意味が無いと思われているから…」
嗚咽がアトリエ中に響いた。
「今の話をAくんのお母さんが聞かれたら激怒されなかったじゃろう」
「……」
「生徒がヤル気にならず、自分の指導を受け入れなくなる状況は誰しも経験する。わしにも経験がある」
「出口先生にも?」
「わしがちょうど入社5年目に担当した中3の生徒全員から仕打ちを受けたんじゃ」
「仕打ち?」
「わしの担当教科(英語)のテストの答案を全員白紙で出したんじゃ」
「えっ?」
「わしの授業に対する無言の抵抗じゃな」
「出口先生にもそんなことが…」
「生徒のヤル気の問題ではないことはその状況からすぐにわかった。じゃから、わしは必死で考え、自身の指導法の何処が問題かを模索した。その結果、指導の厳しさとクラスのレベルが合致していないことに気づいたんじゃ」
「……」
「一定経験を積み、スキルを習得したころコントロール出来ない生徒が現れたとき、指導者は二つの道の選択を迫られる。
①生徒のヤル気の無さを嘆き、何とかヤル気にさせようと躍起になる
②『今の状況は自身の指導力に何か問題があるのでは』と内省し、試行錯誤する
①の道を選べば、その瞬間自身の成長は止まる。なぜならば、『自分は授業のスキルは一定身に着けた』という過信、言い方を変えれば自惚れがあるからじゃ」
「……」
「成績が上がらない、志望校に受からないことを子どもの“ヤル気”に帰責するのは全ての可能性(子どもの成長・指導者の成長)から目を背けることになるんじゃ。一言で言えば“原因自分論”が重要だということじゃ」
「原因自分論…」
「そうじゃ。子どものヤル気の無さに帰責することなく、どうすればこの状況を打破できるかを考えることが、指導者としての成長への第二の扉なんじゃ」
「指導者としての成長への第二の扉か…ちょっと頭を冷やしてよく考えてみます」
「それが良かろう。じゃが、頭だけでなく、口も冷やさないか? ちょうどチーズが程よく燻せた」
「はい!口も冷やします。ですが今日は悪酔いするかもしれませんよ」
「あ、しまった!相馬先生は酒が弱かったな」
「もう遅いです!『今夜はとことん塾ジイで!』」
「こら、勝手にコーナー名を変えるな!」
学習指導するうえで、子どものヤル気の有無は確かに重要です。しかし、留意しなければならないのは、「ヤル気が無い生徒がすべて悪い」という捉え方は非常に危険であるということです。授業の技術がある程度身に付くと、いつの間にか子どものヤル気の無さのみが成績向上・志望校合格への阻害要因だと勘違いしてしまい、子どもはおろか自身の成長もそこで止まってしまいます。授業のやり方を必死で覚えようとした新人時代では視野に入らなかった子どもの“ヤル気の無さ”というファクターが最大の阻害要因と思い込んでしまい、うまくいかなかった原因を全てそこに集約してしまいます。上記の私の失敗体験もその状況と向き合えたので、少しはその後も成長できたように感じます。ただし、白紙答案事件は今でも夢で魘されますが…。
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