「塾ジイの日記」32 ―諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく―
6月19日(土)京進主催の教育講演会が行われました。
午後1時から開催。
前半は、堀川高校校長の荒瀬克己先生
テーマは「根っこを確かに」
後半は、なかまクリニック臨床心理士の東畑開人先生
テーマは「心理療法から見た受験と親子関係」
お二人とも、素晴らしいお話でした。
お二人の先生から頂いた素晴らしいお話の中から、
ここでは東畑先生がお話された、
一つのエピソードを紹介したいと思います。
人は自分の存在が認められていると感じる時には、
2種類の感じ方があるそうです。
1つは
「条件付」の存在=「自分が●●だから、皆が自分を認めてくれるのだ」
という感じ方。
例えば
「自分が●●大学に合格したから認めてくれる」
「テストで高得点を取ったから、先生が認めてくれる」
等で、もしも「条件」が無くなれば、
自分の存在を皆が認めてくれるか否か不安になる。
逆に言えば「皆に見放されるのではないか?」
と思い一生懸命、努力を続けるそうです。
もう1つは
「無条件」の存在=唯一無二の「あなただけの世界」
で、自分の能力や行動に関わらず「認めてくれる」という感覚です。
例えば
友情、恋愛、親子の関係などは、これに近いそうです。
これらの「条件付選択肢」の世界と「無条件」の世界は
どちらか一方ではなく、両方のバランスが大事と言う。
受験というものは、
自分が合格の条件をクリアすれば選んでもらえる
「条件付選択肢の一つとしての自分」を意識せざるを得ない機会となるが
同時に、親や親しい友人から「どんな時でも自分の存在を認めてもらっている」という意識を持てないと、
精神的に苦しくなってしまうという話は非常に共感を覚えました。
このお話を聞きながら、
以前、受け持った生徒の事を思い出しました。
頑張りやで、私が話しかけるといつもにこにこと応じてくれる生徒でした。
その生徒の成績が急降下した事がありました。
そうすると、その生徒は、私が話しかけても、逃げるように去っていくようになりました。
当時、私は、「何か、悪い事でも言ってしまったかな・・・」と気にしていました。
しかし、次のテストで、成績が戻ると、
その生徒は、前と同じように、親しく話をしてくれるようになりました。
彼は、どのように考えていたのだろう。
やはり、自分を「条件つきの存在」と思っていたのだろうか。
成績が取れている時は、先生と話が出来る。
でも、成績が下がったら、自分は見捨てられるのだ・・・
そんな、悲しい、切ない事を考えていたのだろうか。
私はそれに気付かない、鈍感な講師だったのか・・・
本質的には、大人は、条件付で子供を見ることはしません。
ただ、子供に頑張って欲しい一心で、条件付きで見ているふりをします。
「今度のテストで100点とったら、○○を買ってあげるね。」等、条件を提示してモチベーティグすることもある。
それが全ていけない事とは思いません。
頑張った結果に対するご褒美をあげる事も重要だと思います。
しかし、その一方で、
子供の存在そのものを無条件に大切だと思っていることを、
しっかりと伝えて行く事も、難しい事ですが、とても大切な事なんだ。
そんな事を思った講演会でした。
次の講演会は、7月10日(土)と7月11日(日)にあります。
次回も参加して、素晴らしいお話を伺いたいと思っています。