ああ交響楽団!
今は出会い系サイト?
知り合いの娘さんが出会い系サイトと通じて知り合った人と結婚することになりました。その知り合いは『出会い系サイト』に対してかなり心配しているようです。確かに時々トラブルもニュースになっているので、それも良くわかります。しからば昔はどうだったか?と言えば、大きな違いは至る所に見合い屋のババアと呼ばれる、やたらおせっかいなオバハンがいたことでしょうか?今回はかつてはいろいろと世話になった見合い屋のババアと、自ら経験した『お見合い』というものについて述べたいと思います。
見合い屋のババアという社会貢献
見合い屋のババア=世話焼きなオバハンで、特に関西地方では非常に濃い方々が生息していました。出会い系サイトとの決定的な違いは、とにかくねじ込むパワーが強かったという点でしょうか?昔は今では到底考えられない程、個人情報もへったくれもなく、そういった意味でも見合い屋のババアが活動しやすかったとも言えます。ただ、そういった方々のおかげで、少子化も防げていたのではないか?研究者、評論家、政治家などの方々が流行に乗り遅れまいと口々に『婚活⇒少子化対策!』と言っているようですが、かつて見合い屋のババアが貢献していたことについて、言及する人はほとんどいないようです。
テレビ局の罪
とにかく、お見合い=自分のことを自分でできない=恰好悪い=人生の落後者=極力避けたい、というイメージは今でもあると思います。
そんな光景がテレビドラマにも頻発していました。
表紙の付いた大きな写真に不細工な人が写っていて、『お見合いしろって言われているんだけど…』とお見合いを真っ向から否定するものばかりでした。
また、結婚相手を探す番組もいくつもありましたが、これも見なくなりました。その一方でしかめっ面をした評論家が婚活や少子化についてお金のことばかりを語っているようです。どうも少子化の原因はお金だけではないような気がしてなりませんが…
卒業=婚活開始
私の場合、29歳まで学生で、それまで結婚なんぞ考えることもありませんでした。その時の恩師は学生結婚をした人でしたが、私には関係ないと思っておりました。それどころか、女性と付き合ったことすらありませんでした。
かと言って、このまま行くと寂しい人生が待っている、その不安は大きいものでした。
そんな時に強い味方となったのが見合い屋のババアでした。
どうやら学生の時の同級生も同様で、これまで女性と付き合ったことがないは当たり前、でも何とかしたいといった感じでした。その結果、やはり見合い屋のババアの世話になって結婚した友人も多くいます。
てなことで、学校を卒業すると、即見合い屋のババアに頼むことになりました。最初に頼んだ見合い屋のババアは、母親が習っていた洋裁教室の先生でした。
お見合いもいろいろありますが…
お見合いといっても、千差万別で、地方によってもかなり違うと言われています。私の場合は、いろいろあって60回ほどお見合いをしたのですが、その中で遭遇した多くのパターンをご紹介したいと思います。ただ、今となっては絶対に考えられないようなことも多々ありました。日本映画を見ていると『原作者、製作者の意図等を尊重し、オリジナルのまま放送いたします。』というメッセージが流れることがありますが、正にそれに当たります。
お見合いに至るまで
まず、書類と写真を準備します。書類はいわゆる履歴書で、釣書と呼ばれます。釣書とは元々相手の家との『釣り合い』を図るものという意味らしいですが、相手を一本釣りしようとしているのではないか?と思えてなりませんでした。
この釣書ですが、普通の履歴書と決定的に違うところは、家族のことがいろいろと書かれている点でした。両親、兄弟、場合によっては祖父母までの学歴や職歴も載っていました。
そして、今ではかなり問題になるのかもしれませんが、釣書には住所が書いてあり、実際に家を見に行くことは良く行われていました。もっとも、現在のように、グーグルビューのような便利な道具もないとなれば、実際に見に行くことは十分にあり得る話です。ところが、問題はそこから先です。相手の家の隣の家に親が訪ねる(尋ねる)といったことも普通に行われていたということです。そして、来られた方も何の疑いもなく、隣の家のことをペラペラ喋っていたようです。例えば『相手の母親が実は後妻だった!』なんてこともあったようです。『それがなんぼのもんやねん?』かもしれませんが…
そして、釣書と並んで必要なのが写真です。
私は鉄道オタク向けのイベントとかで写したものを入れていましたが、今から考えると、よくあんな写真を選んだものだと思います。一方、女性の方は、写真館で撮る人も多く、実際に会ってみると、イメージが随分違ったということはよくありました。
当日の流れ
お見合い当日です。見合い屋のババア以外には本人同士の場合もありましたが、少数派で、ほとんどが母親と、場合によっては両親と行くことがありました。会場は大きな駅の前のちょいと上等なホテルの喫茶室でした。見合い屋のババアも一人とは限らず、見合い屋のババア繋がりで、何人も経て来る話もありました。そんな場合、見合い屋のババアが5人ほどいたこともありました。そして、そんな方々に一杯1000円もするコーヒーとかをおごる、更には『お車代』と称して5000円くらいの金一封を渡す場合もあったようです。
お見合いが始まり、自己紹介などが終わると、多くの場合、当事者はその場を追い出されます。そして、お見合い会場は、そのまま見合い屋のババアたちの情報交換、作戦会議の場となっていたようです。
その後の糧に…
申し上げましたように、結婚相談所も含めて、60人ほどの女性に会いました。いろいろな方がおられました。そして、多くの場合、こちらが沈没、大破する散々たる状況が数年間続きました。ただ、その中で、学習したことも多々あり、その後の研究開発の礎になったこともございます。
そんなことについては、改めてご紹介できればと思います。