不安を煽ることは百害あって一利なし
皆様方、お世話になっております。播羊化学研究所の辻村でございます。
日々雑感を綴っております。
今回も作文に纏わるお話です。
落ちまくりました。
お恥ずかしいながら、これまで職を転々として来ました。
細かく分けると履歴書では職歴が9行になります。
ただ、今の自営業を始める前を除いて、ブランクが1秒も無かったので、何とかやって来たのかもしれません。
ポスドクのような任期制の職に就いたこともございます。
こういう場合は特に次の職探す日々となりますので、求人があれば応募しておりました。
大学の助手(今では助教?)や講師、公的研究所の研究員など、いろいろ応募しましたが、全て書類審査で落ちておりました。
必ずある作文
応募書類には必ず『着任後の抱負』と称する作文がありました。
今でもそうだろうと思います。
一般論を書いて使いまわす手もあったのかもしれませんが、それでは簡単に落ちてしまうだろうと思い、応募内容に合わせて毎回創作しておりました。
しかし、それでも落ちておりました。
そのうち、こんな作文、どういう位置付けなんだろう?採用する側は、応募書類の作文、真面目に読んでいるのだろうか?そんな疑問が出て来ました。
真面目に読んでいた人はゼロでした。
その後、同年代とかも採用する側の地位に就いたりするようになりました。
そこで、そういった人たちに尋ねてみることにしました。
もっとも、これは正式な調査でも何でもなく、気まぐれで選んだ相手から得た結果ですので、著しく正確さには欠けることは予め申し上げておきます。
結論として、作文をしっかり読んでいたと答えた人は未だにゼロで、『実は全く見ていない』という人もそこそこいました。
『書いた論文の数で決めている』という答も多かったです。
もちろん、それはそれで説得力のある事情です。
更に、とある地方大学の教授サマに至っては、近所にある工業試験場の職員の採用試験を担当していたらしく、『試験問題を作るのも俺一人や』、『それで採点も俺一人や、どういうことかわかるやろ?』と得意顔で語っていました。作文は見ているのか?どうかはわかりませんでした。いろいろ事情もあるのでしょうが、かなり乱暴なやり方のように思えますが…
結局何のために?
そもそも応募書類に付き物の抱負を書く作文、何のためなんでしょうか?応募数を抑制するために、ちょいと関門を設けているってことなんでしょうか?そんなことを思ってしまいます。
てなことで、どうやら大学等では、応募書類の作文があまり重要視されていないように思っております。そして一事が万事と思えるようなことにも遭遇しております。これは以前ご相談を受けた会社さんのお話ですが、とある有名大学と共同研究をしたそうです。ただ、私がチェックをすると、測定原理など、実に初歩的な部分ですら誤りが散見している上に、誤字脱字も多く、結局何ら成果もなく、とても真面目に書いた文章とは思えない報告書を作っていました。報告書も立派な作文です。そんな状況なのに、数百万円の請求書を発行して、その会社さんは実際支払ったそうです。