日報のすゝめ

皆様方、お世話になっております。播羊化学研究所の辻村でございます。
日々雑感を綴っております。
入試における英語の答案用紙で見た違い
A大学の場合
英語で出た問題は、第1問目が「次の英文を読んで下線部を訳せ」、第2問目が「筆者が言いたかったことは結局何であったか?」、第3問目は「次の日本語を英語に訳せ」といったものでした。
物理も2問「実際にかけられた荷重の大きさと消費したエネルギー量を導き出せ」とか、「この実験で得られた発熱量を導き出し、〇〇の法則に従って説明せよ」といったものだったように思います。
いずれも共通点があり、答案用紙は白紙で、必要なことは全て文章で記述するものでした。
B大学の場合
英語の入試問題では発音がどうのとか、一行の英文の途中に空欄があり、そこに入る単語を記号で選べ、とかが中心でした。
物理も同じく、文章の途中に空欄があり、そこに入る文言や数字を記号で選ぶことが中心でした。
答案用紙もA大学のような白紙ではなく、きっちりマス目で仕切られているものでした。
入学試験の結果、A大学には合格し、B大学には不合格でした。
不合格はその時残念だったかもしれませんが、求める学生像が明らかに違っていたので、結果としては良かったと思います。
A大学の入試とB大学の入試で決定的に違うところは、国語力が必要か?否か?だと思います。A大学に合格するには、白紙に作文しなければならないからです。
理系こそ国語!
当時、「理系こそ英語」と称した合格体験記を見たことがありましたが、「理系こそ国語」ではなかろうか?と思います。
研究および技術開発でも見られるPDCAサイクル、あるいは技術承継にしても、全て正確な文章により相手に間違いなく伝えることが必要且つ重要と言えます。
結局土台は日本語
英語で何かを語ろうとする時、よく「英語で考えろ」という話を耳にします。ところが残念ながら多くの日本人の脳は、いくら頑張っても一旦日本語で考えて、それを英語に訳すようにしかできていないみたいです。英語が達者な人?とは結局のところ、翻訳する速度が速くなるだけで、基本は日本語ということらしいです。とすれば、土台となる日本語がダメであれば、どうしようもなくなってしまいます。
これについて、下記記事が非常に参考になります。
『日本語を母語とする方であれば「日本語」でアウトプットすべき内容を考えて、文章にし、それを懸命に辞書などで調べて話すしかないのです。
この点、英語を話せるようになるには、英語で英語を考える、いわゆる「英語脳」「ネイティブ脳」がないとダメだというような本を多く見ます。』
『しかし、残念ながら、私はこの考え方では、英語をなんとなくやった感じにはなれても、決して「話せる」ようにはならないと思います。なぜか。答えは簡単です。話すためには、当たり前ですが、自分の「脳」から言葉を発する必要があるのですが、日本語を母語としていれば、普通は「日本語」で考えますよね。』
『たしかに、もともと「英語脳」が備わっている人、すなわち帰国子女であったり、長期間英語圏に滞在して、英語脳を身につけたりした人であれば、英語は英語で考えるという論理はあてはまるかもしれません。』
『一部の帰国子女の方や、すでに英語脳を身に着けた方が、さかんに「英語脳」をつくることを勧め、英語は英語で学ぼうとなってしまう。この風潮に私はなんとか歯止めをかけ、警鐘を鳴らしたいと考えています。』
『「英語脳」なんて必要ないのです。私は、24歳からアラビア語をはじめて、最終的にはアラビア語で通訳をし、アラブ人とアラビア語で交渉することもできるようになりました。
始めた時点で、「アラビア語脳」があるはずもない。あるのは「日本語脳」だけでした。でも、その「日本語脳」を最大限強化することで、ネイティブレベルまで到達することができるということをお伝えします。』
(外国語の習得に「ネイティブ脳」はいらない。「日本語脳」を徹底的に鍛えよう)
https://globe.asahi.com/article/14585763
やはり日本語は難しい
とはいえ、かく言う私も大した国語力があるわけではなく、そのことは私自身が最もよくわかっております。こうやって書いている文章も正しい日本語か否か?極めて怪しいところです。例えば、以前、偉い大学の先生に「〇〇先生は尊大です。」とメールで書いて出してしまったことがあります。私はてっきり、尊大=尊くて偉大であるという、相手を大尊敬する言葉だと思い込んでいたのです。そんなこともあり、なるべく言葉の意味は調べるようにして、書いた文章は何度も読み返すようにはしておりますが、それでも誤字脱字は日常茶飯事、正確な日本語を発することは大変難しいと感じております。それゆえ、国語に対して、正しく恐れるようにしております。



