英語だけではない?
皆様方お世話になっております。播羊化学研究所の辻村でございます。
日々雑感を綴っております。
将棋が嫌いになった。
最近、藤井聡太八段が八冠をという偉業を達成し、益々将棋に関心が集まっています。
私も小学生のころは父親から将棋を教わったりしていました。最初の頃は駒の動かし方程度でしたが、そのうち駒落ちでやるようになりました。ただ、なかなか勝てずにいると、『どうして勝てないのか?』と思うようになり、対局の途中でも次の手をどうすればよいか?解決策を尋ねたりするようになりました。ところが、父親は一切教えてくれませんでした。更に事態が進むと、私がいくら泣いても、わめいても、同じことの繰り返しでした。そのうち、私は将棋が嫌いになり指さなくなりました。後年、祖母や母親が「あの時は可愛そうだった」言っていました。
父親は私を鍛えようとか、そんな教育的な発想は一切なく、「とにかく負けたくなかった」それだけのことでした。ひたすら「自分が嫌なことは事情がどうであれ、一切やらない主義」の人でした。幼いころに両親を亡くし、その後も知人に騙されて財産を奪われるなどがトラウマになっていたのかもしれません。この話をとある教授サマにしたところ、父親のことが「非常に理解できる」と言って、かなりの親近感を感じたみたいです。私には意外なことでしたが、そう思う人もいるようです。
結局何が問題だったかと言えば、こちらは勝ち負けなんぞどうでも良く、「どうすれば良いか?」それが知りたいだけなのに、教えてもらえなかったことです。
本当に将棋が強い人は
時は流れ、大学院生時代のことでした。将棋が物凄く強い同級生の下宿へ行った時のことです。将棋をやろうということになり、久しぶりにやりました。当然直ぐに負けました。何度やっても負け続けました。それでもその友人は楽しそうに相手をしてくれるのです。次の指し手などもどんどん教えてくれるのです。そこで尋ねました。「どうしてこんな弱い相手とやり続けるのか?やりごたえないやろ?」すると、思わぬ答が返って来ました。「将棋をやっていること、それ自体が楽しいんだよ!」
目から鱗と申しますか、ハッとしました。その道に長けている人は、状況がどうであれ、それが好きなのです。そういう人もいるもんだ、ということで勉強になりました。
知っていることは素直に教えましょう。
その後、とある会社に勤務していると、知っているのに教えない症候群に出会いました。例えば、新卒で新入社員が入って来ても、何も教えず、ひたすら失敗するのを待っている人が必ずいました。ひょっとすると教育的配慮だったのかもしれませんが、かなり疑問でした。あるいは、「若い人に技術を伝授してはいけない。なるべく小出しにして極力教えない。」という人もいました。「定年まで安泰に過ごしたいだよ。でも教えてしまうと自分の居場所が無くなるやろ!」が理由のようでした。更には私が若手社員に積極的に教えていると、「そんな文化を作ってもらったら困るから…」とまで言われたものです。そんな時、子供の頃に経験した、教えて欲しいのに教えてもらえなかった記憶が蘇ったものです。
いろいろ事情はあるかとは思いますが、ここは知っていることは素直に教える方が良いのではないでしょうか?
そして、その道に長けている人口を増やしましょう。そうすれば、そうすれば、この国は必ずや元気になるはずです。