本の紹介『美しすぎる場所』
色と背景のある風景

お正月の雪に覆われた白銀の広島を後にし、
年のはじめは九州・熊本へ、車で旅に出た。
旅のはじまりの地、下関の街角で一篇の詩に出会った。
金子みすゞの言葉だった。
わたしは不思議でたまらない
黒い雲から降る雨が
銀に光っていることが
わたしは不思議でたまらない
青いクワの葉食べている
蚕が白くなることが
わたしは不思議でたまらない
たれもいじらぬ夕顔が
一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない
たれに聞いても笑ってて
あたりまえだということが
この詩を胸に旅を続けていると、
もともと自然に備わっている「色」に、いつも以上に敏感になっている自分に気づいた。
よくよく観察すると、どの風景にも必ず、
山や木々の緑が背景として存在している。
色は単独で目に入るのではなく、
自然という大きな舞台の中で立ち上がってくるものなのだと思わされた。
新年の冷たい空気のなかで見る色は、ひときわ鮮やかだった。
初雪の白。
霧島連山・大浪池の深いブルー。
山越えの道から見下ろす、木々の緑のカーペット。
八女・星野茶の、茶葉を挽きたてのような澄んだ緑。
北原白秋記念館で目にした、ザボンのやわらかな黄色。



日本の建築やまちは、かつて土や木、石といった素材の色によって成り立っていた。
とくに木の家は、時間とともに色を深め、
周囲の山や森の景色に自然と溶け込んできた。
色は装飾ではなく、
環境と素材が生み出した結果だったと言える。
では、現代のまちはどうだろう。
何が優先され、色があふれるようになったのだろうか。
素材そのものの味を生かす料理のように、
無理につくらない色を選ぶことはできないのだろうか。
日本のまちに本来ふさわしい色のあり方とは、
背景にある木や山、風景とともに考えられるものではないかと思う。
色について考えることは、
その街の背景となる自然に目を向けることでもある。
自然に出会うとは、遠くへ出かけることではなく、
日常のまちの色と、その背後にある木と山に気づくことから始まるのかもしれない。



