リノベーション➀~中古住宅を購入して

年末、私の木造建築の師匠でもある、引退された現場監督さんと久しぶりに電話で話をした。
長年現場に立ち、神社や木造住宅、茶室などの数えきれないほどの木と建物を見てきた人の言葉は、現場を離れた今もなお、静かな説得力をもっている。
「木が長くもつかどうかはな、材木になる“その瞬間”がいちばん大事なんだ」
木が建物として何十年、時には百年近く使われるかどうかは、設計や工法、加工技術だけで決まるものではない。
木を切り倒し、材として使い始める伐り時が、その後の寿命を大きく左右する。
そんな話から、電話は自然と山の話へと広がっていった。
花を飾るとき、少しの工夫で長く楽しめる方法がある。
食べ物にも、それぞれに適した保存の仕方がある。
私たちは暮らしの中で、意識することなく「よい時」「適した方法」を選びながら生きている。
木もまた、同じように扱われるべき生物材料という存在なのだろう。
山で育つ木は、何十年という時間をかけて成長する。
年輪には、その土地の気候や雨量、風、陽の当たり方といった環境の記憶が刻まれている。
その長い時間を経て、人が木を伐り、柱や梁となる材として使い始める瞬間が訪れる。
伐り時には、良い時とそうでない時がある。
成長が不十分な木は水分を多く含み、反りや割れが生じやすい。
一方で、時を重ねすぎた木は、内部の力が衰えてしまうこともある。
さらに、伐採する季節も重要だ。
昔から林業の現場で言い伝えられてきた「木は冬に伐れ」という言葉は、水分が少なく、虫害や腐朽を防ぎやすいという、経験に裏打ちされた知恵だった。
こうした判断は、数値や効率だけでは導き出せない。
山を見続け、木に触れ、現場を歩いてきた人たちの感覚が、伐り時を見極めてきた。
伐り時とは、山の時間と人の経験が重なり合う瞬間なのだと思う。
木は伐られたあとも、生きている。
家の柱や梁、床となり、湿気を調整し、空気をやわらかく整えながら、暮らしの中で静かに呼吸を続ける。
山で過ごした時間は、形を変えて、私たちの日常に入り込む。
地域の山で育った木を、地域の暮らしで使う。
その循環が生まれれば、山は再び手入れされ、次の世代の木が育つ時間が始まる。
年末の一本の電話は、木を使うという行為が、単なる材料選びではなく、山の時間を未来へ手渡すことなのだと、あらためて気づかせてくれた。
また後輩建築士へのエールだと受け止めている。



