人は環境を選び・変えれる
住まいの話は、いまも「家族」という単位を前提に語られがちです。
夫婦と子どもという核家族、あるいは三世代同居。
その組み合わせが当然のように扱われ、家の広さや部屋数、間取りの方向性までが家族構成を出発点に決められてきました。
けれど、実際の暮らしはもっと多様です。
ひとりで暮らす人、友人同士で住まいを共有する人、働き方や立場の変化に合わせて住処を移す人、そしてシェアハウスというコミュニティのかたち。
高齢期には自宅を離れ、支援が整った環境へ移る選択肢も増えています。
「大家族」や「核家族」だけでは語れない、現実の暮らし方が広がっています。
だからこそ、住まいを“家族の人数”だけで決める必要はないのだと思います。
むしろ、人生のどの段階で、どのような場が自分にとって心地よく、どの規模の空間が負担にならないか。
その視点で住まいを捉えるほうが、これからの社会の実態に合っています。
生まれ、育ち、働き、老い、そして最期を迎えるまで――
その長い時間の中で必要とされる住処は変わり続けますし、どの段階にも「経費」という現実が伴います。
さらに忘れてはならないのは、住まいは個人資産であると同時に、社会の資産でもあるという視点です。
一つひとつの家は確かに個人の所有物ですが、町並みを形づくり、地域の価値を支え、未来の住み手へと影響を残します。
どのように建て、どのように維持し、どのように手放すかが、その地域全体の“暮らしの質”を左右します。
空き家問題が深刻化している現在、この視点はますます重要です。
家族を前提につくられた住まいが余り、その中に所有者不明の土地や使われない家財、お墓だけが残されていく。
個人資産としてだけ家を考えてしまうと、地域の空洞化は止まりません。
住まいを「社会の資産」として扱う視点が、空き家問題の根本的な改善につながっていきます。
だからこそ、私たちは住処を生涯を通じて学び直す必要があると感じています。
家を買う・建てる瞬間だけではなく、
どのように居場所をつくり、どう受け継ぎ、どのタイミングでどんな支えが必要で、最後はどう社会へ返していくか。
住まいを「人生の科目」として捉え、社会全体が共有する知識として扱う時期に来ているのだと思います。
「家族ありき」ではない住まいの話を始めること。
そして住まいを“個のもの”であり“社会のもの”でもあると認めること。
その両方を見据えてはじめて、これからの暮らしの選択肢と、未来の住み方の可能性が広がっていくはずです。



