承認欲求の暴走/文明・構造(思想)編/(1-14:自分軸の喪失から始まる悲劇)
生活短観
私は怒りっぽい。
特に農業を始めてからは、いつも怒っている。
多くの人は、、、
・細部に目が届かない
・前後の関係を考えない
・その作業をやる意味を考えない
・私の想いを考えない
・目に見える状況がどうあろうが、言われたことをやることに疑いがない。
(間違った指示でも指示通りにやる、疑わない)
私が指示される側だったころ、
私はそうではなかった。
・指示者の意図を汲み
・細部を事前に確認し
・青写真の段階で見せて方向修正し
・目的に合わせて工夫・微修正し
などをしてきた。
私が属していた会社では多くの人がそれが出来た。
日本人は慮る(おもんばかる)ことが得意だ。
それが日本人の強さであり、日本の強さでもある。
私はこれがだいたい普通だと思っていたが、
農業界に来たら、全く違っていた。
一言で言えば、全く気が利かない人たちの集まりだった。
私の日本という社会は、とても狭い社会だったと認識した。
そして、私は他者への期待を捨てた。
さもなければ、私は一日中怒っていなければならなくなり、
身体も心も保てない。
私は気づいた。
これでも日本は強かったし、今も強い。
ということは、
このようなレベルの人たちを使い熟し、
率いて、モノづくりや開発を行ってきた先人たちが居たことを。
私は私がすべきことをこの時に理解した。
世捨て人という方法論
― 他者への期待を捨てた人間の、現実的な生存戦略
まず、正直に書いておく。
私が世捨て人になった原点は、
悟りでも、慈悲でも、優しさでもない。
自分のレベルが、あまりにも少数派だった
それだけだ。
他者への期待が、成立しなくなった
私は長い時間をかけて、
考え、積み、判断し、行動してきた。
にもかかわらず、
・話が通じない
・構造を理解しない
・目先の感情で動く
・同じ説明を何度も求める
そういう人間が、あまりにも多かった。
期待するほうが、無駄だった。
期待を捨てたのは「諦め」ではない
ここを勘違いされやすい。
私は、人間を嫌いになったわけではない。
社会を呪っているわけでもない。
ただ、
期待と現実の乖離が、
あまりにも大きかった。
このズレを抱え続けるほうが、
よほど精神を壊す。
レベル差は、努力では埋まらない
これは残酷な話だが、
はっきり書く。
・理解力
・抽象化能力
・時間感覚
・因果の読解
これらは、
意志や努力だけでは埋まらない。
ベルカーブは、現実だ。
だから私は「降りた」
私は、戦うのをやめた。
・説得しない
・分からせようとしない
・引き上げようとしない
他者の成長を、自分の責任にしない
と決めた。
これが、私の世捨てだ。
社会や他人の期待も、同時に捨てた
他者への期待を捨てると、
同時に気づく。
社会からの期待も、
まったく同じ構造だ。
・こうあるべき
・役に立て
・貢献しろ
それは、
私の人生の設計とは無関係だった。
世捨て人とは「上から目線」ではない
誤解してほしくない。
これは、
・優越感
・選民思想
・支配欲
ではない。
単なる配置換えだ。
合わない場所から、
最も壊れにくい場所へ移っただけ。
期待を捨てると、怒りも消える
期待をやめると、
・腹が立たない
・失望しない
・裏切られない
なぜなら、
最初から、何も期待していないからだ。
これは冷酷ではない。
合理的だ。
それでも、やることはやる
期待は捨てた。
だが、責任は捨てていない。
・仕事はやる
・約束は守る
・関係は必要最小限、丁寧に保つ
ただし、
報酬も評価も、
人生の中心には置かない。
世捨て人は、孤独ではない
世捨て人になると、
人は激減する。
だが、
濃度は、極端に上がる。
話が通じる。
時間感覚が合う。
未来の話ができる。
それで十分だ。
次へ
ここまでが、
私が世捨て人になった、
ごまかしのない理由だ。
次は、この姿勢を
どうやって生活に落とし、
どうやって壊れずに続けるか。
報酬を支配する側へ。
章の締めに入る。
大好きな炭水化物よ、さようなら!



