ベンガラ
今週は雨がよく降りますね。こう雨が続くと、外での作業はなかなか進みません。そんな日は、じっくり工場で材料の加工作業です。今は、もうすぐ現場に立つ化粧柱を、一本一本きれいにしているところです。
さて、皆さんは「お母さんの味」って、どんな味を思い浮かべますか? たとえば、同じレシピで、同じ台所に立って作っても、なぜかお母さんが作る肉じゃがの味にはならない。そんな経験、ありませんか? 長年の勘というか、愛情というか、言葉にできない何かが、仕上がりを左右するんでしょうね。
この「言葉にできない何か」は、私たちが扱う道具にも同じことが言えるんです。
化粧柱というのは、お家の中で見える、大事な柱のこと。例えば、夏休みに遊びに行ったおばあちゃんちの、ひんやりと光っていたあの廊下の柱。あるいは、歴史あるお寺の縁側で、たくさんの人に触られてツヤツヤになった柱を思い出してもらうと、イメージが湧くかもしれません。あの、思わず自分の手でそっと撫でてみたくなる柱です。
そして、その柱を磨くのが「カンナ」です。
職人によっては桐の箱なんかに大事に仕舞ってある、ピカピカの立派なカンナを持っていたりします。「ここぞ!」っていう大事な場面で使おうと決めている、僕らにとっての「勝負服」みたいなもんでしょうか。
でも不思議なもので。いざその「一張羅」を使ってみると、なんだかうまく削れないことがあるんです。逆に、いつも道具箱にごろんと入っている、年季の入ったカンナの方が、スルスル〜っと気持ちよく削れて、木肌がツヤツヤになったりする。
それに、もっと不思議なのが、僕が使い慣れたこのカンナを他の誰かに渡しても、たぶん同じようには削れないんです。これって、まさに冒頭の「お母さんの味」と同じ。使い手の長年の経験や、道具との間に築き上げた関係性が、仕上がりに宿るのでしょう。
結局、道具って使ってなんぼ。毎日一緒に現場の空気を吸って、時には傷だらけになって。そうやって、ただの「モノ」から、言葉のいらない「相棒」になっていく。今日もいつものカンナが、ご機嫌な音を立てています。



