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50歳の誕生日。一番会いたい人に会ってきました!

中西紀説

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テーマ:思想

こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!

私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。

私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。

そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。

50歳の誕生日。一番会いたい人に会ってきました!



今月7日は50歳の誕生日でした!
この日を迎えるに際し、30歳や40歳になった時には感じなかった特別な想いがありました。あれは40歳だったある日のこと。お風呂に入って頭を洗っていた時に、ふと怖くなったのです。当時の私は過去の経験に囚われ、自分を恥じ、自分を憎み、自分が大嫌いでした。劣等感や自己否定感に苛まれて、自分に自信が持てず、人生に夢も希望もない状態だったのです。「気が付けばもう40になってしまった。このままの状態で50を迎えてしまったら自分の人生は本当に終わりだ。それまでにあと10年しかない。でもどうしていいか分からない。。。」そんな焦燥感に駆られたあの日のことがつい昨日のことのように思い出されます。

あれから10年の歳月が流れ、遂に50歳の誕生日を迎えるこの日は私にとって特別な意味を持つ日だったのです。この人生の節目を記念するに相応しいイベントを考えた結果、一番会いたい人に会いに行くことにしました。私が一番会いたい人。それは稲盛和夫さんと鑑真和上さんです。そのお二人に会うために、3泊4日で奈良・京都に夫婦で旅行してきました。

稲盛和夫さんと言えば、言わずと知れた日本を代表する実業家で、京セラ・KDDIの創業者であり、経営破綻したJALを再生した方です。私は稲盛さんのことを心から尊敬しており、稲盛さんの言葉や思想に多大なる影響を受けています。「生き方」という本を読んでカミナリに打たれたかのような経験をして以来、「稲盛和夫一日一言」という本を毎朝3回音読するのが習慣になっていますし、朝のランニング時には毎回稲盛さんに話しかけながら走っています。ただ、だからと言って私は稲盛さんのファンではありません。稲盛さんに憧れ、稲盛さんのように生きたいのです。稲盛さんのような人になりたいのです。謂わば、人生の究極の目標と言える方なのです。

もう一方、鑑真和上さんは唐の高僧であり、日本の律宗の開祖となられた方です。遣唐使によって日本へ戒律を伝えるべく渡航を要請された鑑真さんはこれを快諾。弟子達の中から日本に渡航する者を募りますが、誰も名乗り出る者はいません。それもそのはず、当時の航海技術では無事に日本へ渡航できる確率は約3割程度だったのです。その殆どが沈没したり、難破して知らない土地に流されたり、海賊に襲われたりして失敗に終わっていました。弟子達はその命が惜しかったのです。その様子を見て、鑑真さんは自ら渡航すると言い出しました。それに驚いた弟子達が必死で止めようとするのですが、鑑真さんは「仏法のためぞ。何ぞ命を惜しまん。」と言って渡航を決意します。結局、鑑真さんは5度失敗し、6度目にしてようやく日本への渡航に成功。足掛け12年。そのあまりに激しい航海によって日本に着いた時には失明してしまっていたのです。

京都市伏見区にある京セラ本社ビルの隣に「稲盛ライブラリー」という施設があります。ここは稲盛さんの功績を讃えるために建てられた施設で、稲盛さんの生い立ちから京セラの歴史、思想、社会活動など稲盛さんの人生を追体験出来るような構成となっており、様々な展示物と共に稲盛さんが実際に使っていた執務室まで再現してありました。また、奈良県奈良市には鑑真さんによって建てられた唐招提寺があります。ここに鑑真和上さんの坐像と開山御廟(お墓)があるのです。(ちなみに鑑真さんの坐像は撮影禁止です。画像はネットからお借りしました。)









稲盛ライブラリーと唐招提寺を訪れ、尊敬するお二方の想いを感じ、志を新たにすることが出来ました。今、私達は携帯電話のキャリア(NTTドコモ・ソフトバンク・auなど)を選ぶことが出来ますが、これは稲盛さんの功績によるものなのです。電話通信事業が自由化された当時、電話通信事業者は電電公社(現在のNTT)が独占していました。その余りに強大な組織に戦いを挑もうとする者が誰もいないのを見て、「このままでは日本の電話料金は高止まりしてしまう」との想いで立ち上がったのが稲盛さんだったのです。そうして創業した第二電電(現在のKDDI)の躍進があって、現在の私達は携帯電話のキャリアを選ぶことが出来るようになったのです。私も今、公教育という強大な組織に戦いを挑んでいます。いつか子ども達が学びの場を選べる社会となることを目指して。学校以外の学びの場が認知され、子ども達が自分に合った学びの場を選べるようになることが真の不登校対策だと想っています。それに向けての挑戦を続けるつもりですし、鑑真さんのことを思うならば、最低でも12年はやらないとやったことにはなりません。私はまだ4年目ですし、失明するほどの困難にも遭っていません。「50にして天命を知る」という言葉がありますが、これからが人生の本番。天命を全うすべく精進を重ねることを心に誓った誕生日となりました。

夫婦水入らずでの旅行は実に久しぶりです。せっかくの機会なので、法隆寺・東大寺・橿原新宮・興福寺・春日大社・伏見稲荷大社などを周りながら夫婦の時間を満喫してきました。10年前のあの日の自分に言いたい。「大丈夫だよ。10年後、50歳は最幸の誕生日を迎えられるから!」こうして50際の誕生日は生涯忘れられない一日となったのでした。

本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。

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中西紀説
専門家

中西紀説(フリースクールの運営)

一般社団法人ワンオブハート

発達障がいがあるわが子と自身の不登校経験から得た多くの気づきをもとに、体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営。子どもの心に寄り添って自己肯定感を育み、主体性を引き出す学びの場を提供。

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