引きこもりで死にかけた私が、なぜ社会復帰出来たのか?
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
今の教育に欠けている大切なこと
今の教育にはとても大切なある一つのことが欠けているように思います。それは、子どもを信じること。子どもの成長する力を信じることです。子どもはみんな素晴らしい可能性を秘めていて、心身が元気であるならばいつかきっとその能力を開花させる。ただし、その時期は人それぞれタイミングというものがあるから一様ではない。それも含めて個性と呼ぶのでしょう。だから、大人はそれを信じて待つ姿勢が大事なのではないかと思うのです。ところが、なかなかそれが出来ない。大人は待つことが出来ない。大人目線で良い活動、ためになることをやらせようとしてしまいます。それは何故か?信じてないからです。子どもが本来持っている自分で伸びる力を信じることが出来ないからです。子どもは未熟で、大人が導かなければ成長出来ない存在だと決めつけてしまっている。だから管理し、強制し、導こうとするのでしょう。
管理され、強制させられた子ども達はどのように育つかご存知ですか?自分で考えることが出来なくなってしまうのです。みんながやっていることをしなければならないという意識が先に立って、思考停止になってしまいます。自分がどうしたいかよりも周りがどうしているかを優先し続けた結果「本当は自分は何がしたいのか?」「自分は誰なのか?」それが分からず生きづらさを感じている人が沢山いるのです。
また、子どもは自分を信じてくれた人を信じます。教育とは信頼関係があって初めて成り立つものではないでしょうか?どんなに大人の威厳を振りかざし、上から目線で子どもを管理・強制して偉ぶっていても決して尊敬されません。信頼関係なき尊敬はあり得ないからです。私は子ども達のことを信じています。みんな素晴らしい存在であり、美しい心を持っていると確信しています。だから、敢えて「教えない・導かない・変えようとしない」をキャッチフレーズとし、子どもに主体を預けているのです。そうやって子どもを信じていると、大人の威厳を振りかざさずとも子ども達はついてきてくれるようになります。こちらの意を汲んでくれるようになります。素直で、明朗かつ優しい心が育ち、大人のことを信じてくれるようになるのです。
今の教育にも、子どもを信じるという要素を加えることは充分可能だと思います。信じれば信じられる。愛せば愛される。そのことを大人が理解し実践すれば、きっと子ども達の心が育ち、信頼関係を築くことが出来ることでしょう。最後にもう一度。教育とは信頼関係があって初めて成り立つものではないでしょうか。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。