第3回『教育ごちゃまぜ座談会』を開催しました!
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
不登校は是か非か?
今日のテーマは「不登校の是非について」
不登校でも良いのか、それとも不登校ではいけないのか?
そのことについて考えてみたいと思います。
正直、それについてはよく分かりません。一概には言えないからです。
「不登校でも大丈夫。生きていける!」というのは事実ですし、私もそう思っています。学校が全てではないという意見には同感です。しかし、その反面「学校には行かなくていい」とは簡単に言えないのも事実です。何故なら、現在の日本では公教育以外の学びの場は認められておらず、不登校になると将来への道程が不明確になってしまうからです。不登校を経験しながらも、そこから立ち上がり、自ら進むべき道を決めて歩み出すケースもあれば、不登校をきっかけに引きこもってしまうケースもあります。つまり、不登校児のその後というのは個々人の状況次第なのです。良かったのか、そうでなかったのかはその子によって異なる。明確な道程がない故に個人の事情に委ねられてしまうのが現状です。一方、学校に行っていれば将来への道程は明確です。世の中の大部分の人が乗っているレールの上にいれば、大きく道を外れる危険性は少ないと言えるでしょう。しかし、学校というトップダウン型の画一教育の中で個性を抑えられ、知識の詰め込みに偏重した教育ではこれからの時代に通用しないのも事実。そしてそんな同調圧力に耐えられず、窮屈に感じてしまう子がいるのも事実なのです。彼らは甘えているわけではないし、怠けているのでもない。楽しく通えるのであれば学校に行きたいとすら思っている。でも、自分が自分でいられない学校という空間に耐えられないのです。そのような子達は、不登校になって将来への道程が不明確な世界へとドロップアウトするしかなくなってしまう。
つまるところ、この構造に問題があるのではないでしょうか?
要は、学校以外の選択肢がないことが問題だと思うのです。学校以外の学びの場が周知され、子ども達が学びの場を選べるようになれば、そもそも不登校という概念が無くなってしまいます。学校が合う子はそこで学べはいいし、学校が合わない子はそれ以外の学びの場を選ぶことが出来る。そうすることで不登校という概念が無くならない限り、不登校の是とも非とも言えない状況が続くと思います。現状では、無理して学校に行くことはないというのも事実だし、学校に行かなくてもいいと言えないのも事実なのです。この矛盾が生じるのは何故なのか?不登校の是非、これを突き詰めていくと学校一択という社会構造の問題が見えてくるのです。
私は、不登校児を預かり、彼らが将来自己決定して幸せな人生を生きられるよう自己肯定感の育成に尽力するとともに、不登校という言葉のない社会の実現を目指したい。そのためには、学校以外の学びの場が周知され、これが認めれられることが不可欠。ですからそこに向けてのアクションを続けていきます。不登校の是非、それは不登校という言葉がある限り、答えが出ることはないのでしょう。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。