大人が夢を語ろう!
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
私が想う理想の教育像
不登校なんて言葉は無くなってしまえばいい。そもそも学びの場は学校しかなくて、学校に行くことが当たり前という前提があるから「不登校」という表現になるのだ。何で学びの場は学校一択なのだろう?学校以外の学びの場は認知されないのだろう?これだけ不登校児童が増え続けているその根底にあるのは、学校絶対主義の思想なのではないだろうか?
もっと学校以外の学びの場が周知され、子ども達が学びの場を選べる環境を整えない限り、不登校児童は減らないと想う。例えば、学校とフリースクールやオルタナティブスクールが同列にあって、子ども達はどこで学ぶかを自ら選択することが出来るようにする。当然、学校・フリースクール・オルタナティブスクールのどこに通っても同じ出席だ。このように多様な学びの場を認め、子ども達が学びの場を選べるようにすることが真の不登校対策なのではないだろうか。
私は、これまでの概念に無いような新しい形の学校を創りたいと想っている。そこには学年も無ければ、小・中・高にも分かれていない。特に年齢制限もない。大人だって通うことが出来る学校。異年齢の子達が共に過ごしながら、自分らしく生きていくために必要な力を養う学びの場。多様な人達と出会い、交流をしていく中でコミュニケーション能力を育みながら自己肯定感も育成されていく。先生対生徒という関係もなく、大人対子どもという関係もない。あるのは人間対人間という対等な信頼関係のみ。そして関わる人達がみんなで共に成長していく「共育」の場としての「楽校(がっこう)」である。午前中は、読み・書き・計算など生きていくために必要な座学を行い、お昼ご飯は毎日みんなでクッキングをして、午後からは自分の好きな活動ややりたい活動を思いっきりやれる。そんな学びの場。そこに通うのは不登校の子ども達に限らず、普段は学校に行っている子が来てもいいし、いつでも誰でも来たい時に来れるようにしたい。学費など公教育とほぼ同条件で通えるようにすれば、不登校になってどこにも繋がれていない子達にも手を差し伸べることが出来るかもしれない。そうやって、学びの場の選択肢が増えることで居場所が出来れば、事実上不登校ではなくなる。いつしか不登校という言葉自体が無くなっているかもしれない。
私が想う理想の教育像。
それは、子ども達が学びの場を選べるようになり、不登校という言葉すらない社会が実現することだ。
その理想に向けて精進を続けていくつもりである。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。