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ある日のレッスン風景

上野伸彦

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当館にはご年配の生徒さんも多くいらっしゃいます。20年、10年と通っていらっしゃったりしますので気の置けない会話もレッスン時間の楽しみだったりします。先週末の風景を紹介します。

60代後半の男性生徒Aさんは高岡高校から旧帝大をご卒業になり、現在も県内企業の幹部として日本中を飛び回りながらご活躍なさっておられます。当館とは世代も近く、価値観も似通っていますし、何より往時の出来事がツーカーで通じるのであります。お若い生徒さんですと中々こうはいきません。

さて、先週土曜のことであります。ふとした拍子に聖路加病院の日野原院長の話になったのです。

Aさんが
「(日本赤軍ハイジャック事件の)よど号には日野原さんが乗っていて、どうせ失っていた命だからと聖路加病院の院長を引き受けた、ただし条件は災害時に聖路加のコンサートホールを臨時救難所に活用すること、それが後のサリン事件に生きた・・」というようなお話をなさったのを契機に話に花が咲きました。

以下はその後に続いた当館と生徒さんの会話であります。

当館
「そうなんですか、日野原さんが乗っていたとは驚きです。よど号といえば、当時、担当大臣としてソウルに赴いたのが橋本登美三郎運輸大臣でしたが、事件解決時、韓国側の協力に胸打たれた橋本大臣が韓国の運輸大臣に『本当にありがとうござました。貴国の御尽力が無ければ解決しませんでした。何か御礼がしたいのです。なんでもおしゃって下さい』と言ったそうです。すると橋本の目をじっと見つめた韓国の大臣は『これからは地下鉄の時代です、ソウルには地下鉄がありません、東京のような立派な地下鉄を導入したいのです』と答えたとか。グッときた橋本は『分かりました、必ず協力させて頂きます』と答えて手を握り合ったそうです。なんと半年後にはソウルで実務者の実施協議が始まったそうです。これだけの大事業としては異例の早期展開です。橋本登美三郎の本気が伝わります。そして今、ソウルは世界に冠たる地下鉄網を持っています。昔の政治家は骨がありましたね。」

生徒さん
「そうだったんですか、その時の総理は誰でした?」

当館
「福田赳夫だったと思います」

生徒さん
「あぁ『一人の生命は全地球よりも重い』を発した福田、ですね」

当館
「超法規的措置、なんてのもありましたね。そういえば日野原さんのサリンの時の様子をテレビで見たことがあります。若い医師と2~3人の看護師が心臓マッサージをしていたんです。通り掛った日野原院長が『(心マを)やめろ!この人は助からん、助かる人に向かえ!』と怒鳴っていました。普段は温厚な日野原さんが鬼の形相で言ったのが印象に残っています。」

生徒さん
「あぁー、今でいえばトリアージですね、あの頃はまだそんな言葉も無かったですものねぇ」

当館
「そういえば、こんな話もありました。昔、神通川の橋が落ちたことあがありましたよね」

生徒さん
「あああ、1969年だったかな、私が小学生の時でした」

当館
「そう、それです。あの時通行止めにしたのは署の交通企画課長だったかな?、刻々と状況が悪くなる中で、止めるべきか否かの判断が難しかった、当時、旧8は大動脈だからうかつには止められない、その時に『もし何もなければ俺一人が腹を切れば済む、しかし何かあったら多くの人命が損なわれる、責任は俺が取る、(通行を)止めろ』と言って交通が遮断された、その直後に富山大橋が崩れたんです。」

生徒さん
「そうだったですかぁ!」

当館
「昔の人は気骨がありましたよね、サムライが多かったですー」

みたいな話をレッスンの合間にしております。ちなみにAさんは英検1級レベルの英文スピーチを仕上げておられます。ハイレベルな英語学習と「気の置けない会話」でゆったりとした時間が流れていくレッスン風景でありました~

ps
上記の話題でありますが、とっさに喋りあっている内容ですので細かな年号や人名には誤りがあるかもしれません。そこは突っ込まないでください(笑)



よど号


聖路加病院


沈んだ富山大橋

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