オーストラリアの葬儀~文化・宗教的多様性と先住民族アボリジニ~
誰にも引き取られない無縁遺骨の増加
高齢化と核家族化がもたらす日本の現実
日本では、高齢化や核家族化の進行により、「無縁遺骨」の問題が深刻化しています。
身寄りのない人が亡くなった後、遺骨を引き取る人が現れず、火葬場や自治体の施設に保管されたままになるケースが増加しています。誰にも看取られず、供養もされないまま静かに置かれているのが現状です。
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オーストラリアでも問題化する未引取遺灰
このような課題は、日本だけでなく海外でも表面化しています。
2025年現在、弊社が散骨を行うエリアのひとつ「オーストラリア」でも、未引取遺灰が社会問題となっています。中には、名前すら不明なまま金属製の缶に納められ、火葬場や葬儀場の棚の奥に長年保管され続けるケースもあります。
背景には、葬儀費用の高騰や家族関係の希薄化、移住、独居高齢者の増加など、現代社会が抱える多くの課題が複雑に絡んでいます。経済的理由から遺骨の引き取りを断念する遺族も少なくありません。
海洋散骨で未引取遺灰を送る試み
2025年1月、オーストラリア・メルボルンのポートフィリップ湾にて、未引取遺灰を海に還す追悼セレモニーが行われました。
使用されたのは、全長27メートルの帆船「エンタープライズ号」。船上で、75名分の遺灰が海へと撒かれました。
セレモニーでは、1人ずつ故人の名前と死亡日が読み上げられ、白い鳩が放たれた後、花びらが海へと撒かれました。使用された音楽はエンヤの「Orinoco Flow」で、宗教色を抑えながらも故人を敬う演出が印象的でした。
参列者の想いと背景
散骨セレモニーにはさまざまな想いを持った参列者が参加していました。
ある父親は、死産した赤ちゃんを見送るためにパートナーとともに参列し、湾へ流れていく遺灰を静かに見送っていました。
また、90歳で亡くなったオードリーさんの遺灰を撒いた女性は、15年前に家族でこの船に乗った思い出を振り返り、オードリーさんの「この船から自分の遺灰を撒いてほしい」という遺志を叶えました。
75名の遺灰と向き合った団体の活動
このセレモニーを実施した非営利団体「サステナブル・フューネラルズ・グループ」は、保管された遺灰一つひとつに対して家族への連絡を試みました。連絡が取れなかったり、すでに遺族が他界していたケースもあったといいます。
主催者のキアラン・ワージントン氏は語ります。
「誰かを失ったとき、気持ちの整理がつかず、遺灰を引き取りに行けないこともあります。私たちはできる限りの連絡を取りましたが、中には何年も音信不通のままの方もいました。」
そして、セレモニーの意義についてこう述べました。
「この散骨式は、社会の中で忘れ去られそうな命に、最後の送り出しを与えるものです。誰一人として、無名のまま消えていい命なんてない。」
散骨がもたらす社会的な意味
現代社会では、葬儀や供養が形式に偏りがちです。ですが、このような取り組みは、一人ひとりの命に真正面から向き合い、人間の尊厳を守ろうとするものです。
注目される散骨の役割
オーストラリアで行われたこのセレモニーは、未引取遺灰に向き合うだけでなく、「これからの見送り方」について考えさせられるものでした。
- 環境にやさしい葬送方法
- お墓を持たないという選択肢
- 無縁社会でも尊厳を守る手段
都市部では火葬が一般的となり、海洋散骨への関心が高まりつつあります。メディアでの紹介により、未引取遺灰の扱いについても業界内で見直しが進んでいます。
日本でも、「墓じまい」や「無縁仏」が深刻な課題となるなか、生前に散骨を希望する人が増えています。「誰が自分を見送るのか」「どんな別れ方が望ましいのか」は、誰にとっても無関係ではないテーマです。
ポートフィリップ湾に還された75柱の遺灰は、確かに人の手で見送られました。遺族がいなくても、誰かが見送ることには大きな意味があります。
そうした文化を私たち自身が育てていくことこそが、「死を遠ざけず、生をまっとうする社会」へとつながっていくのではないでしょうか。



