お墓の歴史について
日本人にとっての遺骨の価値観とは
現在の日本では、人が亡くなると火葬され、遺骨は墓地に納められることが一般的です。そしてその遺骨を大切に守ることが、故人を供養することだと考える人も多いのではないでしょうか。
遺骨を大切にする文化の背景
【厚生労働省】によれば、激戦地だった硫黄島では1968年以降、本格的に遺骨収集が行われ、2011年からは年間約10億円を投じて探索が続けられています。遺族からは「父の骨を先祖のお墓に納められたら、これ以上の親孝行はない」との声もありました。今年2月には27柱の遺骨が厚生労働省に引き渡されています。
また【日本遺族会】の調査でも、フィリピンをはじめとする戦没者の遺骨収集が継続的に行われており、日本人にとって遺骨は単なる「遺物」ではなく、故人との精神的なつながりの象徴であることがわかります。
遺骨に関する所有権をめぐる裁判が起きたこともあり、遺骨は故人の一部であり、時に形見としての価値も持つ存在だと捉えられています。
日本における遺骨信仰の起源
仏教には「舎利(しゃり)」という概念があります。これは仏教の開祖・釈迦の遺骨のことで、信者によって八等分され、塔(ストゥーパ)に納められたと伝えられています。
『日本書紀』には、敏達天皇十三年(584年)に舎利が発見され、蘇我馬子が塔を建立して納めたという記録があります。また、推古三十一年(623年)には新羅から贈られた舎利が大阪・四天王寺に納められたとされています。このように、舎利への信仰は日本でも早い時期から受け入れられていました。
鎌倉時代に入ると、仏教の原点に回帰する動きが強まり、舎利を尊ぶ文化が広がりました。専用の骨壺のような容器も作られるようになり、現在の「遺骨を大切にする文化」の原型となっていったと考えられます。
災害時に見られる遺骨への想い
2011年の東日本大震災では、墓石の倒壊や津波による墓地の被害が深刻で、復旧の目処が立たない中、多くの人が「せめて遺骨だけでも移したい」と、無許可で遺骨を持ち出す行動に出ました。
また、令和2年の熊本県豪雨では、流された墓地の土を拾い、骨壺に入れて寺の納骨堂に納めた人もいました。
今年元日に発生した能登半島地震でも、倒壊した家から遺骨を見つけて安心したという声があれば、「避難する際に遺骨を持ち出せず後悔している」という声もありました。
こうした背景には、「遺骨を失うことは先祖に対する裏切り」という感覚や、遺骨が心の拠りどころであるという想いがあるのでしょう。
遺骨の感じ方と供養のかたち
遺骨は「故人が生きた証」として、精神的な支えや心の寄り所になることもあります。こうした考えから、近年では遺骨を自宅に保管したり、アクセサリーとして身につける「手元供養」も広がっています。
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一方で、「遺骨があることで、いつまでも気持ちの整理ができない」と感じる人もおり、そうした方は「散骨」を選ぶケースもあります。形としては残りませんが、「心の区切りがついた」「前を向けた」といった声も多く聞かれます。
遺骨を自然へ還すという散骨の供養は、故人の意思を尊重し、穏やかな別れを迎える方法のひとつとして選ばれています。
国や宗教によって異なる遺骨観
ヒンドゥー教では、ガンジス川に遺骨を流す葬送儀礼が行われています。そこには「全てを浄化して来世へ向かう」という教えがあり、遺骨そのものに執着はありません。
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タイでも火葬後に遺骨を川や海へ撒くことが一般的で、来世へ進むために執着を手放すという思想が根付いています。
遺骨に込める想いは人それぞれ
遺骨を残しておくことに安心を覚える人もいれば、あえて残さないことで前を向ける人もいます。大切なのは、供養の方法が「その人らしさ」や「遺族の気持ち」に合っていることです。
時代や価値観の変化とともに、供養のかたちも多様化しています。遺骨をどう扱うかに正解はありません。自分や家族にとって納得のいく方法を選ぶことこそが、最も大切な供養なのではないでしょうか。



