無許可の自然葬と散骨の法整備~山にむき出しの遺骨?~
ひろゆき氏が選んだ散骨という供養のかたち
2024年4月19日、実業家の西村博之(ひろゆき)氏がABEMAの番組「Abema Prime(アベプラ)」に出演し、義母の供養について語る場面がありました。
中でも注目されたのが、「義母の遺骨をハワイのダイヤモンドヘッドが見える海に散骨した」という発言です。
その理由に、番組内の共演者だけでなく、散骨業に携わる私自身も驚かされました。
散骨という選択に見出した意外な価値
この回では、Amazonで遺骨の永代供養を申し込めるサービスが話題にのぼっていました。専用キットで遺骨を郵送し、和歌山県のお寺で永代供養してもらうという新しいかたちの供養です。
合理性を重視するひろゆき氏はこのサービスを「さらに合理化できる」とし、以下のように話されました。
「うちの義理の母親って、ハワイのダイヤモンドヘッドが見える海に散骨したんですけど、墓参りって言うとハワイに行けるんですよ」
つまり、「墓参り」という名目でハワイに行くことができる。供養と旅行を一体化させるという発想は、ひろゆき氏らしいユニークで現実的なものでした。
実際、旅行の目的地を決めるには理由やタイミングが必要です。その一歩を「供養」が後押しするのであれば、それはとても自然な行動なのかもしれません。
私自身、散骨におけるメリットを語る機会は多いのですが、「旅行を兼ねた墓参り」という考え方は思いつきませんでした。まさに目から鱗の視点です。
供養とは誰のためにするものか
供養の目的は一体誰のためなのか。はっきりと「この人のため」と断定できるものではありません。
一般的には、故人のため、そして遺された家族のためとされますが、その比重は状況や人によって異なります。
最も大切なのは、関係者が納得できるかたちで行われることです。それがとても難しいという現実もありますが、理想ではあります。
今回のひろゆき氏の散骨は、彼自身の希望を反映したものと思われます。義母の明確な遺志があったかどうかは語られていませんが、「自分ができる最高の供養を」と考えた結果なのかもしれません。
たとえ遺言がなくても、「こんな場所が好きだったかもしれない」「きっと喜んでくれるだろう」と思いを馳せて行う供養も、故人を大切に思う心から生まれる行動です。
そう考えれば、「自分が訪れたい場所を選ぶ」という考え方も、供養のひとつの形として尊重されるべきではないでしょうか。
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継続できる供養という視点
「やらない善よりやる偽善」という言葉がありますが、供養にも似たような側面があるかもしれません。
無理して続かない形式的な供養よりも、自然に心から続けられる供養のほうが、きっとその人らしいものになるのではないでしょうか。
現代のライフスタイルは、必ずしも伝統的な供養の形と一致しません。だからこそ、無理のない方法を模索する必要があります。
「自分が行きたくなる場所で散骨する」というひろゆき氏の考え方は、まさにその一例。これからの時代の供養のあり方を、私たちに示唆しているように思います。



