お墓参りの時期や作法~故人に何度でも会いに行く~
関東と関西の文化の違いと散骨の可能性
身近な風習の違いに驚くことも
最近、関西方面を訪れる機会が増え、文化や言葉、日常の習慣の違いに驚かされることが多くなりました。
- しょうゆの味の濃さ
- 出汁は鰹か昆布か
- マクドナルドの略称「マック」or「マクド」
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの呼び方(ユニバ)
- エスカレーターの立ち位置(関東=左/関西=右)
このように、ちょっとしたことでも地域によって差があり、戸惑うこともあるでしょう。
実は「葬儀」や「お墓」に関しても、関東と関西では異なる点があります。今回はその中でも、収骨方法・骨壷の大きさ・墓石の色についてご紹介します。
関東と関西における収骨方法と骨壷の違い
収骨の流れと意味
火葬後、二人一組で箸を使って遺骨を骨壷に納めることを「収骨(しゅうこつ)」といいます。別名「骨上げ」「拾骨」とも呼ばれています。
この際に箸を使うのは、「箸渡し」と「橋渡し」をかけており、三途の川を渡る故人を手助けする意味が込められています。
地域による収骨方法の違い
- 関東:遺骨全体を収める「全骨収骨」が主流。刷毛などで骨粉も含めてすべて集め、骨壷に納めます。
- 関西:遺骨の形を保った一部を拾い上げる「部分収骨」が主流。喉仏や頭蓋骨の一部などを選んで骨壷に納め、残りは火葬場に残して帰るのが一般的です。
関東の方からすると「なぜ全部持ち帰らないのか?」と感じるかもしれませんが、関西では「形の残ったきれいな骨を選んで納める」ことが重視されているのです。
喉仏が最後に収骨される理由
喉仏(のどぼとけ)とは、第二頸椎(軸椎)のことで、性別に関係なく誰にも存在します。
この骨が「仏様が座禅を組んでいる姿に似ている」とされ、体に宿る仏として大切に扱われてきました。
浄土真宗では喉仏を分骨して手元供養としたり、本山に納骨したり、散骨することもあります。
また、火葬後にきれいな喉仏が残っていると「極楽浄土に行ける」とされる信仰もあります。ただし、形が残っていなくても故人の行いに問題があったわけではありませんので、心配はいりません。
収骨方法の違いの由来
この違いの背景には、明治時代の「火葬禁止令」があります。
当初は火葬が禁止されて土葬が推奨されましたが、衛生面などの問題から2年で廃止されました。
その後、火葬が復活し「遺骨はすべて持ち帰るべし」という通告が出されましたが、これは関東で定着し、関西には浸透しなかったため、現在の違いにつながっています。
骨壷の大きさの違い
収骨方法の違いにより、骨壷のサイズにも差があります。
- 関東(全骨収骨):七寸(直径約21cm)
- 関西(部分収骨):五寸(直径約15cm)
墓石の色の違いとその背景
日本の墓石は主に御影石が使われています。御影石は耐久性があり、吸水率が低いため、古くから重宝されてきました。
地域によって異なる色の好み
- 関東:黒色の御影石が多く使われる
- 関西:白や薄いグレーの御影石が一般的
これはもともとその地域で採れる石の色の違いによるものです。黒い石は関東、白い石は関西で多く採掘されていたため、地元の石を使って墓石を建てる文化が自然に根付いたと考えられます。
関西ではかつて「黒は熱がこもって良くない」と批判されたこともありましたが、それは石材の産地による言い伝えに過ぎません。仏教では赤・青・黄・白・黒の5色すべてが極楽浄土に必要な色とされています。
散骨には地域差がない
これまで紹介したように、関東と関西では収骨方法や骨壷の大きさ、墓石の色に違いがあります。その他にも、香典の金額や葬儀の流れ、食事など地域によって異なる風習は数多くあります。
たとえば、ある地域では葬儀のあとに味のない豆腐を食べる風習があり、子どもの頃にそれが苦手で泣きそうになった思い出があります。
しかし、私たちが行っている「散骨」に関しては、関東・関西といった地域による違いはほとんどありません。
散骨は自由な供養のかたち
散骨には形式的な決まりごとはなく、以下のように自由度が高いのが特徴です。
- 地域による風習に縛られない
- 遺族や故人の意向に応じたセレモニーができる
- 自然に還るという新しい価値観に基づいている
まだ新しい供養のかたちである散骨ですが、今後、散骨が主流になった時には、各地域ごとの特色が生まれてくるのかもしれません。
文化の違いを知り、供養の多様性を受け入れる
関東と関西の文化の違いは、日常生活から葬儀に至るまで多岐にわたります。
その一方で、散骨のように形式にとらわれず、自由に想いを表現できる新しい葬送文化も広がりつつあります。
故人を想う心に正解はありません。形式の違いはあっても、その根底にある「大切な人を敬う気持ち」は、どこでも同じなのではないでしょうか。



