親友の遺骨と旅をする映画「マイブロークンマリコ」の魅力と心の癒し
古墳を訪ねて考えた、お墓のかたち
日本最大の古墳に立ち寄って
先日、大阪を訪れた際に、近くにある日本最大の古墳「仁徳天皇陵古墳」を見に行ってきました。
「エジプトのクフ王のピラミッド」「中国の始皇帝陵」と並び、世界三大墳墓のひとつとして知られる場所です。
ただし、前方後円墳の全貌は上空からでないと確認できないのが少し残念でした。
古墳を眺めながら、「そういえば古墳って権力者のお墓だったな」「亡くなったら棺に納められて、内部の埋葬施設に安置されていたんだっけ」などと、歴史に思いを馳せました。
今では「お墓」といえば墓石を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、かつてはそのかたちも埋葬方法も多様でした。
日本における埋葬の歴史
日本で人が埋葬されるようになったのは、縄文時代(約1万3000年前~2300年前)からといわれています。
この時代の埋葬は、土坑墓と呼ばれる地面に掘った穴に遺体を屈葬で埋め、上に大きな石を置くだけという簡素なものでした。
古墳時代(約1500年前)には、巨大な古墳が築かれ、権力者の象徴としての機能も果たしていました。
飛鳥時代になると仏教が伝来し、死者を自然に還す思想が広まりました。
平安時代には共同墓地が登場し、次第にお寺とお墓の関係が深まっていきます。
一方で、遺体を山や川に放置する「風葬」も見られた時代です。
鎌倉時代には仏教が庶民にも浸透し、火葬と土葬が併存しました。
しかし当時はまだ墓標という概念が一般的ではなく、火葬された遺骨は棺に納めて土中に埋葬されていました。
江戸時代には、火葬場としての小屋が寺や墓地に設けられ、火葬がさらに広まりました。
ただし、煙やにおいが問題とされ、土葬も継続されていました。
この頃、武士の墓には板塔婆や石塔婆が立てられ、それが庶民の間にも広がり、卒塔婆を建てるという現在の墓石の原型が生まれました。
明治時代には、青山墓地や天王寺墓地など公共の墓地が整備され、全国に広がっていきました。
そして現代では、墓地に墓石を建て、火葬された遺骨を埋葬するというスタイルが一般化しています。
一方で、「散骨」「樹木葬」「手元供養」「納骨堂」など、新しい選択肢も登場し、葬送の自由度はさらに広がっています。
自分が本当に望む供養のかたちは何か。
一度立ち止まって考えてみるのも良いかもしれません。
お墓参りの意味とその変化
日本では、代々続くお墓を守り、命日やお盆・お彼岸などに家族でお墓参りをするのが、長く当たり前とされてきました。
しかし、仏教の本来の教えには「先祖供養」の概念は存在しません。
日本の先祖供養の文化は、儒教の影響によるもので、「目上の人を敬う」という儒教の価値観が、日本の供養スタイルに影響を与えたとされています。
近年では、「お墓参りをしたことがない」「そもそも先祖の墓の場所を知らない」といった人も増えています。
たとえば、ブータンという国には墓が存在しません。
彼らは輪廻転生の思想を信じており、今を生きる命を大切にすること自体が先祖への敬意であると考えられています。
このように、供養のかたちは必ずしも墓標の前で手を合わせることに限りません。
どんな形式であれ、故人を想い、命を尊ぶ気持ちこそが本当の供養なのではないでしょうか。
これからのお墓のかたち
「墓石がある場所だけが“お墓”なのか?」
その問いへの答えは、今や一つではありません。
本来お墓とは、遺体や遺骨を納めた場所全般を指すものです。
これからの時代、お墓のあり方はさらに多様化していくことでしょう。
どんな形式であれ、どこにあろうと優劣はなく、
大切なのは、“そこに何を想うか”という、その人自身の心なのだと思います。



