グリーフケア~葬儀や供養で心を癒す
海が好きな理由、そして「海に還る」ことの意味
心をゆだねる、海という存在
皆さんは、海が好きですか?
私はふとした瞬間に「海に行きたい」と思い立つことがあります。高校時代には、真夏の砂浜に何時間も寝そべり、顔がガングロになったこともありました。(笑)
今はさすがに寝転ぶことはありませんが、目を閉じて海を感じていると、心がゆったりと落ち着き、自由に広がっていく感覚になります。まるで、海の底に静かに沈んでいるような心地よさ。
そんなとき、ふと思い出すのです。
どんなに波が荒れても、海は変わらず「海」である。
人生に疲れて、何もかも投げ出したくなるようなとき――私は、この本質を思い出すために海へ足を運ぶのかもしれません。
科学が示す「海の癒し」
海を眺めているだけで、不思議と気持ちが和らぎますよね。それにはちゃんと科学的な根拠があります。
波の衝撃によって空気や海水の分子構造が変化し、空気中には「荷電イオン」が放出されます。その影響で「エンドルフィン」や「セロトニン」といった神経伝達物質が分泌され、血行が促進され、気分が良くなるとされています。
また、海洋生物学者のウォーレス・J・ニコルズ博士は、湖や川、小川や滝など水がある場所には癒しの効果があると語っています。そして、
「海がもたらす心理的効果は、格別である」
とも述べています。
彼の研究を紹介した記事もありますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
https://experiencelife.lifetime.life/article/blue-mind/
ちなみに、地球の約70%は海に覆われており、そのうちの約80%はまだ誰の足も踏み入れていない“未知の世界”とされています。なんだかとても神秘的ですよね。
先日、海洋散骨についてご相談いただいた方にこの話をしたところ、
「地球全体がひとつのお墓みたいですね」
とおっしゃっていたのが印象的でした。
供養の形に、もっと自由と多様性を
散骨に対しては、「故人との絆が断たれるのでは?」「粗末にしているように感じる」といったご意見もあります。また、日本では「亡くなったら家のお墓に入る」という伝統的な価値観も根強くあります。
しかし、私は思うのです。
供養のかたちにも、故人や遺族それぞれの“らしさ”や“選択の自由”があっていい。
もちろん、「自由でいい」とは「適当でいい」という意味ではありません。大切なのは、故人への尊厳を守りながらも、それぞれに合った方法を選べることではないでしょうか。
実は、私たちが「伝統的」と思っている現在の火葬や供養の形式も、歴史の中では比較的新しいものです。かつて日本は土葬が一般的であり、火葬が主流になったのはここ数十年のこと。2005年頃には火葬率が99%を超えたと言われています。
つまり、「伝統」と思われているものも、時代とともに変化してきたのです。
もしご興味がある方は、ルポライター高橋繁行氏による『土葬の村』という書籍をぜひ読んでみてください。供養のあり方がいかに多様で、時代や文化によって大きく異なるかを感じられる一冊です。
海とともに、大いなる命の一部へ
このような視点から考えると、「海洋散骨」という供養方法は、ごく自然な流れのようにも思えます。
海は命を育む源であり、癒しと再生の象徴でもあります。そんな海に還ることは、大いなる命の一部となるような感覚を私たちにもたらします。
生きている今も、死んだその後も、海とともに
私のように、「海が好きだから、死んだら海に還りたい」と願う人は少なくありません。
たとえ遺骨になっても、私たちは自然の一部として、静かに存在し続けることができます。そして水を求めるのは、生き物としての本能なのかもしれません。
本当の意味で「海に還る」という供養を、あなたも体験してみませんか?



