ご挨拶②
こんにちは。コーチング事業会社・Hitofuri代表の山田です。
普段のコラムではコーチングコミュニケーションについて書いていますが、記念すべき20回目ということで、今日は少しプライベートな話をしてみようかな、と思います。
私には2歳の娘と5歳の息子がいます。下の子はまだ小さいですが、上の子は自分の意思が芽生えてきた時期です。
先日はおもちゃを貸すことができず、お友達と言い合いになっていましたね。
乳幼児時代の子育てとは異なる葛藤と面白さを感じる日々です。
ふと立ち止まり、働くパパとして自分が子どもに願っていることを綴ってみることにしました。
「ありのままの自分を生きてほしい」それが、父の願い
私が子どもたちに願うことは、とてもシンプル。
「ありのままの自分を生きてほしい」。
この一言に尽きます。
もちろん好き勝手に生きればいいということではなく、人としての倫理観や道徳心、自律心は育んでいってほしいと思います。親として最大限に手助けしていきたい。
でも、親の価値観を押しつけたくないな、と思うのです。
親や社会が唱える“幸せ”ではなく、子ども自身が導き出した、彼らなりの“幸せ”に従って生きてほしい。
たとえそれが「無人島で暮らす」だったとしても、私は全力で応援したい。
(ちょっと寂しいかもしれませんが。)
こう願うようになった背景には、自分自身の経験があります。
期待に応えたかった子ども時代
私は兄、妹に挟まれた三人きょうだいの真ん中として育ちました。
両親共に体育の教員免許を保有しているというスポーツ一家で、私も物心ついた頃から空手やサッカーに打ち込みます。
特にサッカーではプロになりたいと思うようになり、両親も応援してくれました。
そんな中、小学校のときに記憶に残る出来事がありました。
私が所属していたサッカーチームはお世辞にも強いとは言えず、人によっては“弱小”と呼ばれるレベルでした。
子どもなりにもがいたものの、ひとりの頑張りではすぐに結果が出ないのがチームスポーツの難しさ。変わらない状況に、悔しさと、「このままでプロになれるのか」という不安を抱いていました。
もっと強いチームで仲間と切磋琢磨したい、勝ちを経験したいという思いに駆られ、「他のチームに移りたい」と父に打ち明けました。
「仲間を裏切るのか」
この言葉は、いつまでも耳に残っています。
一世一代の相談を、聞き入れてもらえなかった日
強豪校での日々は自分を成長させてくれましたが、同時に残酷でした。
才能あふれる選手たちを見て、「自分はプロにはなれない」と早々に悟り、これからの人生について考えるように。
「プロになれないサッカーを続けるより、未来につながることをやりたい」
「自分の強みを活かせる道が、きっとあるはずだ」
そして、この思いを父に打ち明けたとき、またしても心に深く刻まれる体験をします。
「ここまでやってきたのに、途中で投げ出すのか」
自分にとってはポジティブな決断を、こんな風に受け取られてしまうとは。
言葉の虚しさを知った出来事です。
父になってわかることもある。でも、違う関わりが欲しかった。
父は長年ひとつのスポーツに打ち込み、何事にも信念を持って歩んできた人です。
“投げ出さない”“諦めない”がポリシーで、その大切さを子どもにも伝えたかったのでしょう。
私も親になり、当時の父の気持ちは少しわかるようになりました。
でも、「もっと違う関わり方もあったんじゃないか?」とも思うのです。
おそらく、「裏切るのか」「投げ出すのか」は、父なりの激励だったのでしょう。
でも、「お前だったらできる」「応援しているぞ」というポジティブな言葉だったら、私もエールとして受け取り、その先の決断も変わったかもしれません。
この経験を通して、当時の私の中に残ったのは「なぜ父はあんな風に受け取ったのだろう?」という問いでした。
正解どころか原因すらわからず、長年モヤモヤした思いを抱えることになります。
しかし、コーチングに出会ったことで、自分の伝え方や、意志の弱さが結果につながっていたのだと気付くことができました。原因は自分の中にあったのです。
そして、不思議なことに原因を言語化できたら心がフッと軽くなりました。
私がもっと早くにコーチングに出会い、苦しさの原因を突き止めていたら10年も悩まずに済んだでしょう。
だから、私は子どもには「ありのままの自分を生きてほしい」し、「ありのままの自分」がわかる人になってほしい。
そして、それを全面的に受け入れる親でありたいと思っています。
読んでいただいている皆さまに伝えたいことは「目前の状況に対して、最適なコミュニケーションができていますか?」ということです。
(後編に続きます)



