人間関係の“ありがた迷惑”をなくすコミュニケーションスキル・「収集」とは?【後編】
コーチング事業会社・Hitofuriの山田です。
私は企業向けに1on1セッションやマネジメント研修を行いながら、「心理的安全性の高いチーム作り」や「個人の目的意識を引き出す関わり方」をサポートしています。
近年は間口を広げ、学校の先生を対象に児童との関係構築のヒントになるようなお話などもさせてもらうようになりました。
私が強く感じているのは、人の悩みは、ほとんどの場合、人間関係(対人コミュニケーション)が原因だということです。
大きな組織も粒度を変えれば“人と人”。
コミュニケーションを見直すことで、解決できる課題(悩み)はたくさんあるのではないでしょうか。
そこでコーチング的思考をベースにしたコミュニケーションTipsをお送りすることにしました。
初回テーマは「承認」です。
「いまいち部下との距離が縮まらない」
「子どもが本音で話していない気がする」
そんなモヤモヤを抱える人におすすめの内容です。
明日からすぐ使えるコツもあるので、ぜひ最後までお付き合いください。
「承認」とは“あなたの存在に気付いているよ”というメッセージ
みなさんは「承認」にはどんな意味があると思いますか?
調べてみるとこんな意味が出てきました。
承認
1.そのことが正当または事実であると認めること。
2.よしとして、認め許すこと。聞き入れること。
何らかの相談や提案、依頼、確認に対して「いいよ」と述べる、許諾のニュアンスがある感じがしますね。
では、コーチング的「承認」はどんな意図で使われているのか。
簡単に言うと「相手の存在そのものを認めること」です。
行動や発言ではなく、その人がそこにいるという事実のみを受け止める。これをアクノレッジメント[acknowledgement]と言います。
「存在を認めるなんて、そんな当たり前のことを…」と思いがちですが、実はシンプルなようで難しいんです。
こんな場面を想像してみてください。
職場のAさんが髪を切ってきました。
あなたならどう声をかけますか?
「髪を切ったんだ。似合っているね!」
この声掛けは一見良いコミュニケーションに思えますが、実は“本音”を封じ込める可能性があります。
どこがいけないのか、みなさんはわかりますか?
「承認」と「褒める」はぜんぜん違う。
結論から言うと、前述の会話なら「似合っている」はない方が望ましい…と私は考えています。
なぜなら「似合う」というコメントはAさんへの“評価”になり得てしまうから。
「承認」的観点で言えば、評価は不要なのです。
「承認」をするのであれば「髪の毛切ったんだね」だけでOK。
事実を事実として認め、言語化する。シンプルに“気づいているよ”と示しましょう。
しかし、相手も喜ぶポジティブな評価なら伝えてもいいのでは?と思う方もいるでしょう。
もちろん「どう?似合っている?」と聞かれた場合は、伝えてあげてください。
求められていない評価は、しない方が望ましいということです。
なぜ「承認」において評価は不要なのか。
理由は大きく2つあります。
①同調させる恐れがある
例えば、相手の意見を立てて、自分の本音を隠して「私もそれがいいと思います」と同調する。そんな経験はないでしょうか。
Aさんに関しても「前の髪型のほうが好きだったな…」と思っていたのに、先に似合うと言われてしまったことで、“気に入っていない”という本心を言いづらくなったかもしれません。
②評価ベースの人間関係ができてしまう
人は褒められると、相手が望む行動を取ろうとする生き物です。それが加速すると、自分の欲求に逆らってでも評価が得られそうな方を選択する。
「次もこの髪型にした方が褒めてもらえるかな」という具合です。
時にはこの心理を利用して意図的に評価するケースもあります。
例えば子どもにテストで良い点を取らせたいとき、「テスト勉強頑張っていてえらいね!」と褒め、行動を促す。そんな使い方が挙げられます。
なぜ人は「評価」してしまうのか
「じゃあ、もういっそ何も言わなくて良くない?」
こんな風に思った方もいるかもしれません。でも、コミュニケーション失くして信頼関係は生まれないので、諦めないでほしいです。
評価を含まない会話は意外と難しいものです。
なぜなら、人間にはそれぞれ価値観があります。情報が目の前に飛び込んでくると、自分の「価値観フィルター」が作動し“良し悪し”を瞬時に判断してしまうんです。ごく自然な反応と言えます。
この価値観フィルターを自覚し、いかに評価を切り離した会話ができるか。
「承認」の在り方を知り、意図的にコミュニケーションを選択することで、習得できるのではないかと私は思います。
大切なのは褒めることでなく、相手への関心を示し続けること。
- 営業成績がボロボロのとき
- 学校のテストで最下位のとき
いかなるときも評価せず、無条件に関心を払い続けてくれる相手って、けっこう救いになると思います。
目指すべきは、評価を軸にしない「対等な関係性」です。
(後半へ続きます)



