風、声のデザインルーム横隔膜?
第3章
瞑想と声楽の関係性
イタリア留学中の瞑想体験
Giuseppe Verdi作曲「OTELLO」のデズデーモナ役を勉強することになったときのことです。
ふと、曲の中でお祈りの歌を歌う時と、実際に教会の中で歌うときとでは、何が変わるだろう?
という思いからミラノの大な教会に行きました。
「人々が教会内でどのようにお祈りするのか」感じてみたくなったのです。
ある高齢の女性の近くに座りますと、その方の口から
*Ave Maria piena di grazia*
とデズデーモナの歌い出しの言葉が聞こえたのです。
私も目を閉じ、同じ言葉を心の中で言いました。
すると、途端に体が震え出し、涙が流れ、手足が熱くなり、、、、、。
瞑想している感覚になったのです。
日常の中に祈りがあるということはこういうことなのだと深く感動しました。
心の中で歌ってみると、自然に静かな空気に包まれ、
「このフレーズはこうしよう」「あの言葉の発音はこういう響きだ」と、どうすればいいのか
わかってくるのです。
難しいフレーズも息が長く続き、ブレスも静にでき、役の内容もしっかり見え、
実際には声を出さずとも表現が自然に浮かんでうまく歌えるように感じました。
自らの心を燃やして歌うとはこういう事だと悟りました。
*目に見えないものを、見ようとする行為*
心の中にあることを祈りにするのが瞑想であると思ったのです。
それは「無」になることを求めた瞑想では決してなく、心の中にあることを祈りにすることが、
私の瞑想であると気づいたのです。
そして、瞑想と祈りは自分のエネルギー、そして力なのだ、とも感じるようになったのです。
私の場合、瞑想者になりたくて瞑想をはじめたのではありませんから、
それはそれは自由でした。
目を閉じた上で、その歌の前奏、間奏 後奏まで、舞台や演奏会で実際に歌うテンポで瞑想をおこないます。
呼吸のことは何も考えずとも、確実に皮膚呼吸までも瞑想に近いものを感じるのです。
{日々の丹田呼吸の成果でもあるといえますね}。
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