仏壇の由来 ― 祈りのかたちが生まれたとき
仏教とクリスマス― 心に灯をともす日 ―
街がきらめき、イルミネーションが灯りはじめる頃、
「仏教とクリスマスって、関係あるの?」
そんな声を耳にすることがあります。
けれど実は、仏教はとてもおおらかです。
クリスマスだからといって、禁じられることは何もありません。
ある禅僧に、西洋の人がこう尋ねたといいます。
「修行者は、クリスマスを祝ってもいいのですか?」
禅僧は、少し笑って答えました。
「雪が降れば、雪を眺める。
ケーキがあれば、ケーキを食べる。
それだけのことです。」
仏教が大切にしているのは、
何をするかより、どんな心で向き合うか。
誰かを思い、感謝し、静かに過ごすのであれば、
それはもう立派な“仏教的な時間”なのです。
キリスト教では、イエス・キリストの誕生を祝うのがクリスマス。
では仏教ではどうでしょうか。
仏教では、**釈迦牟尼仏**の誕生を
四月八日の「花まつり」で祝います。
花でお堂を飾り、甘茶をそそぎ、
「この世に尊い命が生まれたこと」を静かに喜ぶ日です。
冬のクリスマス、春の花まつり。
季節も形式も違いますが、
“救いの象徴がこの世に現れたことを祝う”という点では、
どこか深く響き合っています。
また、クリスマスといえばプレゼント。
仏教には「布施(ふせ)」という教えがあります。
それは、
物を施すことだけでなく、
やさしい言葉、安心させる気持ち、思いやりを分かち合うこと。
高価なものでなくてもいい。
「あなたを想っています」という心こそが、
もっとも尊い贈りものなのだと、仏教は教えてくれます。
こんな小話もあります。
弟子が師に言いました。
「今日はクリスマスですね。」
師は少し考えて、こう答えました。
「そうか。では今日は、
いつもより少しだけ、
人にやさしくする日にしよう。」
仏教にとってのクリスマスとは、
派手に祝う日ではなく、
心にそっと灯をともす日なのかもしれません。
静かな祈りも、あたたかな笑顔も、
その一つひとつが、
誰かの心をやすらかに照らしていく。
そんな時間を過ごせたなら、
それはもう、十分に“仏教的なクリスマス”なのです。
すみませんお釈迦様!クリスマスっぽくしてみました



