場を乱す方の参列は控えるべきか?
【質問の内容】
葬儀とは関係ないですが、好きな言葉とかありますか?
【回答いたします】
【好きな言葉】
葬儀や相続の話ではなく、個人的な話で恐縮ですが、回答させていただきます。しかも「言葉」とは少し違うのですが……
「踏むがよい。 わたしは、お前に踏まれるためにこの世に生まれたのだ。
わたしは、お前たちの痛みをともにするために十字架を背負ったのだ。」
——遠藤周作『沈黙』
キリシタン弾圧のさなか、ロドリゴ神父は捕らえられ、棄教(=信仰を捨てること)を迫られます。彼自身が拷問を受けるのではなく、彼のために日本人信徒たちが吊るされ、苦しみ続ける中、「棄教すれば彼らを助けてやる」と告げられます。
その「他者の苦痛」を前に、ロドリゴは極限の葛藤に追い詰められます。役人から踏み絵を差し出され、足を置くよう命じられた瞬間、彼の耳に聞こえたのがこの言葉でした。
高校生のときにこの作品を読み、衝撃を受けました。矛盾をはらんだ状況の中で、建前を取るのか、実を取るのか。悩み抜いたその先に現れる「救い」とは何か。信念の対象から「その信念を捨てること」によって、はじめてその信念を自分のものにする——そんな逆説的な構造に、言葉では言い尽くせない深さを感じました。
遠藤周作のような著名な文筆家ではないので、うまく表現できず歯がゆいのですが、「神の不在ではなく、人間の苦悩を通してしか聴こえない神の声」を聴くことによって救われていく——この解釈は、「神様はいない、だって祈っても叶わないから」といった、わかりやすさや論破が求められる現代において、私にとっての救いとなっています。



