家づくりの流れ 19
前回、投稿の「自社設計、施工」に続き
今までの経歴を(続)自社設計、施工として
紹介したいと思います。
建築の専門学校を卒業後、建設会社へ就職して
初日の業務は、松の太鼓梁の手斧(ちょうな)かけで
(ちょうなかけ風景 ネット画像)
会社に勤務しながら職業訓練校の大工課程に会社から行かされて
大工道具も一式会社で買わされました。(今でも使っています。)
鑿(のみ)や鉋(かんな)の刃研ぎ、矩尺(さしがね)など基本的なことから学びました。
その建設会社は、木材の手刻み加工や仕上げ加工も自社でしている会社で
そこで木材の加工も経験しました。
実際に配置された課は、建築第1課という所で
鉄骨造、鉄筋コンクリート造などビルを建てる課でした。
(建築第2課は木造住宅を専門に建てる課でした)
仕事内容は、現場監督ですが、やり方出しや墨出しで
レベルやトランシットなどの機器の操作の基本を身につけることができました。
(ビルの基礎は1.5m位の深さがあり通りやレベルを合わせるのが大変でした。)
その後、何年かして設計実務を身につける必要があると思い
木造の建築を専門にしている会社へ転職して
設計の基本を学びました。
当時は、木造の特例が無い時代だったので
基礎伏せ図、床伏せ図、梁伏せ図、筋違計算書など全てつけて役所へ申請しに行ってました。
設計時代に、お客様の所へ打ち合わせに行くと
税金の事や住宅ローンの事を聞かれることがよくあり
営業が話すような内容は説明することができませんでした。
お客様のために家づくりに関することは全て話せるようになりたいと思い
ハウスメーカーの営業の世界へ飛び込みました。
建築の技術者として十数年間経験してきてからの営業職という事で
右も左も分からない状況で住宅金融公庫の申込みや住宅ローンの申込み
税金の説明もできるようになり、
何年か後には全国で約600人くらいいる営業の中で全国表彰を2回受賞するまでになりました。
その頃、世の中を騒がせた構造偽装問題が発覚して建築確認申請が
厳格化され大きく建築基準法の改正が行われることになり
自ら申し出て設計への配置換えをしてもらいました。
設計担当になってから宮崎支店の設計が不在になるので宮崎へ行ってほしいと
言われ宮崎へ転勤になりその後そのまま宮崎で独立しました。
宮崎に来て17年が過ぎ18年目に入りました。
お客様のために、耐久性のよい本物の木材をなるべく安く提供できるように
8年前に木材の加工、材料の保管、などできるように現在の工場を購入しました。
元々佐賀出身ですが、学校を出てから就職したのが熊本県で
その会社の時、福岡県久留米市で工場の建設と整骨院の建設が続けてあり
佐賀出身という事で会社から行ってこいと言われ実家から久留米の現場まで通ったり
ハウスメーカーの時に頼んでいただいた長崎のお客様より
親戚の家の建物調査をしてほしいと独立してから連絡が有り
長崎で欠陥住宅の調査もさせていただきました。
おかげで、佐賀、長崎、熊本、福岡、宮崎、大分など九州一円で
設計、施工をさせていただいています。(鹿児島だけまだ実績がありません)
一級建築士でありながら、
木材の加工やステンレスや鉄の加工、
そしてハウスメーカーの営業と
多分、日本中探してもこう言う一級建築士はいないのではないかと思う位
色々な経験をしてきています。
今までの経験を活かし
お客様との打ち合わせからプランニング、本設計、役所の確認申請、
現場のやり方出し、墨だし、木材の加工、など
市販品には無いようなものを自社で設計、施工 して
かなりオリジナルな建築の仕事をしています。
以前の投稿記事 「実家の鉄工所」