集客は・・・難しい・・・
こんにちは、関 慎太郎です。
私のコラムにご訪問下さり、本当にありがとうございます。
マーケティング力ゼロの自社に、マーケティング力を付けるために奮闘し始めた私です。
マーケティング環境を構築するにあたって、「語る資格がある領域を発掘する」事が重要である事を知りました。
つまり私が、ITという領域について語る資格がある者なのか、それをハッキリさせる必要がある、という事です。
そこで今回は、関 慎太郎という人間が、ITについてあなたに語る資格があるのか、それを幼少期から遡って発掘していこうと思っています。
持っているネタは全部出す、という事なので、これもコラムにさせて頂きました。
関 慎太郎という人間について知って頂くために、ご一読いただけると嬉しいです。
釣り三昧だった幼少期
私は、昭和の真っただ中、1974年に生まれました。
物心つく頃には既に父親がおらず、母子家庭で育ちます。
ただ、そのような環境の中でも、母方の実家で育った事もあり、衣食住に困る事もなく、経済的には不自由のない生活を送る事ができたと思います。
私が育った家は、山に囲まれた自然豊かな場所にあり、小学1年生の頃から、私は学校から戻るとすぐに、近所の沼や川へ魚釣りにばかり出かけていました。
友達に教えられ、生まれて初めてフナを釣り上げた時の感触が忘れられずにいたのです。
※この時の感動は、今でもハッキリと覚えています。
今度はファミコン三昧
釣り三昧の生活を送っていると、ファミリーコンピューター(通称ファミコン)、と呼ばれる家庭用ゲーム機が出回るようになりました。
私の友人が一人、また一人とファミコンを手にしていく中、学校での話題はファミコン一色となり、
「ねぇ、みんな持ってるから買って!!」
と、小学生にありがちなおねだりを繰り返して、ようやく私もファミコンを手にしました。
この頃から、勉強そっちのけでゲーム三昧の日々が始まります。
特に、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーが発売された時は、本当に夜も寝ずに、ゲームに明け暮れていた事を思い出します。
良家の落ちこぼれ
釣り、ゲーム三昧の日々を送っていた私にも、ついに、高校受験という一大イベントが迫ってきました。
近所に、母の兄が住んで居たのですが、その長男、次男、長女、その全員が県内でトップの高校へ通っており、周囲から「物凄く優秀な家系」と思われていたようです。
そんな中で私は、釣り&ゲームに明け暮れていたわけですから、当然、従弟の足元に及ぶ筈もありません・・・。
落ちはしなかったものの、進学先は至って普通な公立高校。
母と同じ高校だし、世間体的には問題ないだろうと高を括っていたのですが、
私と従弟達を比較し、母のプライドはズタズタに引き裂かれてしまっていたのでしょう。
この頃から度々、母から酷い事を言われるようになっていきます。
パソコンゲームとの出会い、そして
高校に入っても、それまでの生活スタイルが変わる事無く、勉強そっちのけで遊んでばかりいました。
そんな日々を送る中で、仲の良い友達がパソコンを買ったとの事で遊びに行きました。
そこで初めて、パソコンのゲームを目にするのですが、その圧倒的なクオリティに啞然とした事を今でもハッキリ覚えています。
ファミコンは、カクカクした大きなドットで描かれた荒い画面だったのですが、パソコンのゲームときたら、それはもう絵画のような美しさの画面で、かつ、イベントシーンでは、キャラクターの絵がアニメーションを見ているかのように動く、動く!!その光景が、ファミコンのピコピコ音とは比較にならない、重厚感、抑揚のある音楽と共に展開されていく・・・。
私が、パソコンに心を奪われた瞬間でした。
友達が手にしていたのは NECのPC-8801 MA2。
当時、斉藤由貴さんがTVCMしていた逸品です。
「欲しい・・・」
心からそう思っていると、友達は続けて、とんでもない事を口走ります。
「このゲームも、これと同じパソコンを使って作られてるんだよ」
な、なんだって!?
この魔法の箱さえ手に入れれば、こんなとんでもないゲームでさえも創れてしまうというのか!?
これが、私とプログラミングとの出会いでした。
先ず、当時数十万もする高価なパソコンを手にするのは無理だと考えた私は、
PC-8801 MA2の導入に伴って放置されていた、MSXというパソコンを友達から借り受ける事を画策します。
PC-8801に比べて安いとはいえ、MSXも十分に高価な代物だったのですが、友達は快く貸してくれました。
MSXの良いところは、専用のディスプレイは必要なく、ファミコン同様にテレビに接続する事が出来た点です。
グラフィックやサウンドの性能は、ファミコンとあまり差はなかったものの、
プログラミングできる、という点において、私にとっては充分魅力的な代物だったのです。
それから、その友達と一緒に BASIC という言語を学び始めました。
インターネットが無かった当時、パソコン雑誌を頼りに情報を集めるしかありません。
それでもコツコツと学習を続け、サウンドノベルのような、選択肢によって状況が変わっていくテキストベースのゲームを作れるまでになっていきました。
そんな日々を送っている最中、高校のテストの結果を母親に見せたとき、私の人生が大きく変わる場面に遭遇する事になります。
あんたのせいで・・・
その日の夜、母親の部屋に呼び出されました。
どうせまた、勉強しろとか、情けないとか、そんなお小言だろうな・・・、面倒だなぁ・・・と思いながら母の部屋に入ると、突然号泣しながら、堰を切ったかのような勢いで、沢山の言葉を浴びせかけてきました。
要約すると・・・
- 何で今の高校で成績1番になれないんだ・・・
- 何で私に、こんなにも恥ずかしい思いばかりさせるんだ・・・
- 妹はちゃんとしているのに、なんで長男のお前はダメなんだ・・・
そんな感じの事を延々と叫び続けています。
※私には妹がいるのですが、それもまた優秀なヤツで、後に県トップクラスの高校へ進学します・・・
まあ、いつものアレか・・・。
という感じて適当に流していると母は、
キッ、とした目つきで、私の事を睨みつけます。
そして、
「あんたのせいで、私の人生メチャクチャだ・・・。
あんたができたせいで、アイツ(父親)と結婚する事になった。
なんで親を大事にしない!?
今まで育ててやった金を返せ!!親の有難みを知れ!!」
途中からよく覚えていないのですが、内容を整理すると、
- 俺のせいで授かり婚する事になった
- 母は、結婚する気がなかった
- それで人生メチャクチャになった挙句、その原因を作った本人は落ちこぼれ
- 優秀な家系にダメな家系の血を持ち込んだと言われている
とまあ、そんな内容でした。
俺だって産まれたくて産まれて来たわけじゃない!!みたいな反論をすると、
子供というものは、天国から下界を見ていて、ここに産まれたい!!と
思った所に産まれてくるものだから、お前が来たのが悪い!!
※後に知るのですが、仏教か何かでこう言った考えがあるみたいです
と、真顔で返してくる始末・・・。
高校1年生、思春期真っただ中だった頃の自分には、とうてい処理しきれる筈の無い情報量でした。
ただ、心の中で
「もう、いいや・・・」
という何とも言えない感情がドローッと湧いてきて、
自分でも驚く程冷静に、ゆっくりと母親の部屋を出て、家を出たのを覚えています。
その後も高校には通いましたが、色々とどうでもよくなって、殆どいかなくなります。
母が仕事に出ている昼は自室に閉じこもり、
母が仕事から帰ってくる前に外にでて、
友達の家や公園を転々とする日々を送っていました。
死んだんじゃないの!?
ある日、昼頃に家に戻ると、仕事に出ている筈の母親が待ち構えていました。
それを無視して自室に入ろうとすると、物凄い力で腕を掴まれ、引き戻されます。
「私じゃ、あんたの面倒を見切れないから、お父さんに来てもらうから・・・」
真剣な眼差しで私を見つめる母。
・・・・・ん!?
「死んだんじゃないの!?」
あまりの衝撃に、情けない声を出している自分が居ました。
私は、小さい頃からお父さんは死んだんだと、そう言い聞かされて育っていたのです。
母親は勿論、ばあちゃんや、叔母さんだって、そういっていたはずなのに・・・。
そんな父が、やってくるって!?
不思議にも、それまで抱いていたやるせなさはどこへやら。
死んだ筈の父親がやってくる!!という事実に、ワクワクしている自分がいました。
そして、この父との出会いが、私のパソコンオタク人生を爆発的に加速させていく事になります。