必要なものは必要?
スポットコンサル会社からの依頼
少し前に登録しているスポットコンサル会社から依頼が来ました。
次のような流れです。
①英文の研究論文を読む。
②英文の査読結果があり、それも読む。
③査読はリジェクトを伝えるものであった。
④査読文のどちらかはAIで書かれたものであり、どちらがAIであると思うか?を答える。
論文はいわゆるサンプルで、有機合成と医薬へ応用した場合のバイオ活性に関するようなものだったと思います。
ちょいと専門分野からは外れておりました。
どちらがAI作?わかるかな?
査読文、どちらも似たようなことが書いてありました。
パッと見てわかるところは、一つは段落もなく、一気に書かれたものでした。
もう一つは段落に分かれ、番号も打ってありましたが、ある言い回しが繰り返されていました。
そこで、体裁としては段落のある方が完成度も高いように見えましたが、段落を作ることなど、今のAIではできるので、段落を作った方をAI作として返答しておきました。
ただ、この調査、サンプルの論文の内容が必ずしも詳しい分野ではなかったことや、査読文が英語で書かれていることから、どちらがAI作であることなんぞ、正直わかりませんでした。
AIを使いこなすための修行?
これが日本語だとスグに判別できたのでは?と思います。実際、AIが書いた(日本語の)作文や資料はかなり酷いものもあります。
(『未経験に臨んだ』といふ『経験』)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5199985/
これに対して、『AIを使いこなせる方は残念ながら少数です。それらしい文章をAIは作成してくれますので経験が浅い方だと出力された文章の良し悪しがわからずにできたつもりになってしまうのでしょうね。文章作成には文章の一定の知識が必要ですね。』というご意見もありました。
ただ、文章作成のための知識を身に付ければ、もはやAIに頼らなくても文章がしっかり書けるのでは?とは思いますが…
何が何でもAIを使う、そのために修行をすることに意味があるのでしょうか?
実際、自分の頭でしっかり文章を考えればAIの出番も無しで済みましたが…
(AI=阿保いい加減にせい!なのか?)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5189467/
どうせやるなら、AIに頼らなくても済むような修行をした方が余程良いのでは?と思いますが、いかがでしょうか?
今回の調査、英語であったところがミソだったかもしれません。
微妙なニュアンスなど、正直ほとんどわからないので、判別不可でした。
ただ、事実上、研究論文の多くは英語であり、当然査読結果も英語で来るので、日本語でないから…とは言ってられないことも確かです。
これが今の世相?
『こんな調査がある』を知ったこと自体は今の世相を認識する上で大変良かったと言えます。
しかしながら、論文の査読をAIにさせることなんぞ、本当に良いのでしょうか?
論文と言えば、研究者の魂が詰まったものです。
その審査を機械にさせる、そんなことが許されるのでしょうか?
もっとも、今では論文自体もAIに書かせようとしている人もいるでしょうが…
確かに昔から、論文の査読は研究者にとって厄介なものでした。
私も大学院生の時と、ポスドク時代にやったことはあります。
ポスドクはともかく、学生に査読をさせることもどうなのか?と思ったりはしますが…
その一方で、研究者の多くが、研究活動以外に時間とエネルギーを吸い取られていることは事実です。
査読は専門分野と関係しますが、専門とは全く関係のない事に時間を取られ、結果として、査読にも、更には専門の研究にも時間を割けなくなります。その一方で、『日本はアカデミックな成果が少なく諸外国に大きく差を付けられた!』と嫌味ばかり言われるのがこの国の研究者です。
『猫の手も借りたい!』ってことでしょうか?
そこで、猫ではなく、AIの力でも借りたいというのは、極めて現実的なことかもしれません。しかしながら、本当の問題点はそこではないと考えます。しょーもない雑用が多過ぎるのに、そこには一切目を向けない方々があまりにも多過ぎるということです。
このあたりについて、識者の方々にも尋ねてみました。改めてお話し申し上げたいと思います。




