意見は愚痴でも批判でもない

辻村豊

辻村豊

テーマ:日々雑感

皆様方、お世話になっております。日々雑感を綴っております。

愚痴を言われてもな

かつて在籍していた会社には毎月部署で集まって報告会がありました。その場で私は製造現場での現状を分析し、問題点と改善点を報告したつもりでした。ところが上司からは『愚痴を言われても…』と言って聞き入れてもらえず、話し合いは強制終了となりました。
ちなみに愚痴について、『「愚痴をこぼす」「他人の愚痴を聞いてあげる」などと言われる「愚痴」とは、こぼすことによって状況が好転する見込みもないのに、くどくどと嘆くことを意味する。』とあります。

(生活の中の仏教用語 - [126])
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000pwj.html

要は『言っても仕方がないよ』ということです。もっとも、あの時、本当に仕方がないことだったかどうか?は未だにわかりません。

大学でも

最近も似たようなことがありました。とある大学関係者と話をしていた時のことです。こちらとしては、サイエンティフィックな問題点を述べたつもりが、『愚痴を言われても…』と言われて、そこで話を打ち切られました。どうやら『愚痴』という言葉を使えば、話し合いを打ち切ることに便利なようです。
それにしても、学生時代には指導者から『大学のセンセイにはいろいろいる。世界的な研究をする人もいれば、授業だけをやる人もいる。ホントにいろいろ…』と言われておりました。確かにそうなんでしょう。しかしながら、なりたくてもなれない人が多いアカデミックポジション、研究もしっかりやって、議論もとことんまでやって欲しい思うのは、私だけでしょうか?

実は難しい

そんなこんなで、『意見』や『疑問』などと『批判』、『非難』、『愚痴』、『悪口』などとの違いはどこにあるのか?ということを考えるようになりました。発する側は『意見』を言ったつもりでも、相手には『非難』と取られてしまう場面、意外と多いのではないか?と思います。
あくまでも傾向ですが、最近の若者はあまり叱られずに育ったらしく、都合の悪いことは全て『批判、非難』と取ると言われています。要は『意見』と『批判、非難の区別ができない』とも言えましょう。

昭和一桁と団塊の世代のギャップ

これに関して、いつも髪を切ってもらっている、近所の散髪屋のご主人から興味深い話を聞いたことがあります。今の日本、大体20年周期で価値観が交互に入れ替わっているのではないか?』ということです。
散髪屋のご主人説では、『終戦になり、昭和一桁の世代とは正反対に、子供たちは叱られない、野放しになってしまった。それが団塊の世代、そして、昭和一桁の子供の世代、団塊の世代の子供、と交互に続いているのではないか?』ということです。
この20年周期は、親子では短すぎるが、上司と部下の関係では良くあることです。
部下が飛んでもない世代かと思えば、その世代が上司になれば、更にその下の部下の世代は意外にもしっかりしている…
そんなこと、あったりしないでしょうか?

個人の感想です


そんな言葉の意味や意義を知りたいときに、つい上記のように『〇〇と△△の違い』と検索してみたくなるものです。今ではAIによる検索結果も出てきます。実際にやってみてわかったのですが、出所がなんとこのコラム(ブログ)と同じような文章でした。私の場合、冒頭に『雑感』と申し上げております。もちろん、雑感と宣言すれば何を言っても良いということではありませんし、世の中のブログやコラムにも論文レベルの文章もあります。しかしながら、多くの場合、いわゆる『個人の感想』であることが多く、一言一句間違いを許さない、正確な情報を伝えるためのものでもありません。その一方で何かを感じたことや、考え方などを述べるもので、これはこれで重要かつ必要なことです。そんな文章を言葉の意味や解釈の根拠とすることは必ずしも適切とは言えないのでは?と思います。このようなことからも、AIの利用は注意が必要だと考えます。

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辻村豊
専門家

辻村豊(技術コンサルタント)

合同会社 播羊化学研究所

原料や素材の研究開発、製造工程、PRなどに関するお困りごとをサポート致します。専用の実験室で実証実験や試作も可能です。技術系社員の育成、技術承継のご相談なども承ります。博士(工学、1997年大阪大学)

辻村豊プロは神戸新聞社が厳正なる審査をした登録専門家です

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